2007年12月30日日曜日

07年を振り返って

 今年は少林寺拳法創始60周年の年でした。還暦を迎えたわけです。
 写真は、日本武道館で行われた全国大会の時に、初生の赤子として初心に帰る為、全国の道院長と供に白帯を締めて参加してきた時のものです。
 60周年のテーマは「ありがとうこの命 ありがとうあなたとの出会い」でした。
 これは、良く考えられたテーマだと思います。
 最近の軽くあつかわれている「命」について60周年を機に、もう一度考えてみよう。道院で話し合ってもらいたい。親子で話し合ってもらいたい。と言うことです。
 報道によるとここ何年かは、交通事故による死亡者数より自殺者の人数が上回っているそうです。また、「我が子に手をかけた。」「親を殺害した。」などのニュースが後を絶ちません。
 子供達に行事の時や、通常の練習時などに何度か「命」について話したことはありますが、理解してくれているでしょうか?
 繰り返し、繰り返し、機会を捉えて話し続けなければならないと考えています。
 以下の様な話を今までにしてきました。 
 スケールの大きな話では「ありがとうこの命」とは、約40億年の昔から受け継がれてきた「命」の連続性を考えることになると思います。身近な所から考えても、自分のご先祖様を考えると、両親(2人)、祖父母(4人)、8人、16人、32人・・・。5代さかのぼっても62人もいます。6代前では64人で合計126人、7代前は128人で合計254人と沢山のご先祖様がいます。その誰かが欠けていても自分は存在しないことの不思議?
 人間は優れた文明を持っています。ロボットを作り出すことが出来るようになってきました。遺伝子操作など生命を作り替える技術も発達してきています。しかし、まだ無から「命」を生み出すことはできません。「命」を壊すことは簡単でも、作り出すことはとても難しい事なのです。
 また、私たちの体は、常に新しい細胞が生まれて壊れてを繰り返して成り立っています。一時も止まった状態はありえません。生きている限り、体のどこかが置き換わっています。常に置き換わっているのに一つの体がバラバラにならないで自分を保っているのは不思議なことだと思いませんか?
 これが仏教で言う「諸行無常」だと私は考えます。
 次ぎに「ありがとうあなたとの出会い」は、「諸法無我」の事だと私は考えています。
 「諸行無常」が過去から未来に向けての縦の繋がりだと考えると、「諸法無我」は現在の空間での横の繋がりだと考えられます。自分一人では生きていけないのですから、誰かと何かしらの関係性の中で自分は存在しているのだと思います。
 哲学的な事は抜きにしても、誰かとの出会いで今の自分があると思われることは誰にでもあるのではないでしょうか?
 あなたとの出会いに感謝できると言うことは幸せな事だと思いませんか?
 極端な事を言えば、少林寺拳法の技は多少、横に置いて置いても、こんな事を私は伝えたくて少林寺拳法を行っているのかも知れません。

 最後に、今年は能登地震に邪魔されて道場建設の夢が足踏み状態でした。
 「今は時期ではない。もう少し待て」と言われているのだと思います。
 是非来年は、実現していきたいと思います。

2007年11月18日日曜日

07北陸学生連盟研修会

 2007年11月18日(日)午後から金沢大学体育館(角間キャンパス内)に於いて07年度の北陸学生連盟研修会が北陸三県の大学少林寺拳法部が集まり行われました。その講師として他2人の先生方と指導を行いました。
 担当が二段以上のクラスだったので、後輩の指導に役立ててくれれば良いな考えて、自分が心がけている指導法も交えて、二段、三段の技術を中心に指導しました。
 指導時のポイントは、
1、目標を明確に提示する。 ゴールの設定 。 正解をみせる 。→正解を求めて、やみくもに失敗を繰り返していないか?
2、問題点を明確にする。何が足りないのか?何が余分なのか?
3、問題解決の道筋を提示する。プログラムを示す。練習方法を示す。
 その為には、スモールステップが大切。→出来ることから始める。成功体験が大切。
 次ぎに、一事に1ポイント(複数のポイント言うと全部を覚えられない)3、5、7の法則(一度に覚えられる数は7が限界、3つぐらいがベストかも、できれば1つに絞りたい)
 三つ目は、何を練習しているか明確にする事が大切。基本なのか法形なのか、動きを刷り込む為か動きを試す為なのか、など
4、より深い理解の為には?
 理解を深めたり、言葉にできないコツを伝える為には、形式知を手がかりにディスカッションしていく以外に方法はない。
 ディスカッションする事で、暗黙知を少しずつ言語化し、お互いに掘り下げていける。
 この4つのポイントをお話ししました。
以下はその時の資料です。

2007年11月3日土曜日

創始60周年記念レセプション

 60周年記念大会の前日の11月3日にザ・プリンス・パークタワー東京を会場に少林寺拳法創始60周年記念レセプションが行われました。
 会場のザ・プリンス・パークタワー東京は、プリンスホテルの中で一番新しいホテルだそうです。何となく明るい銀色の夜景にライトアップされた東京タワーが直ぐ近くに見えました。ホテルの建物は、高くそびえているのですが、レセプションが行われた会場は、公園の下を掘って作られており、公園の緑を残す工夫がされているそうです。地下なのですが、天井が高く圧迫感は全くありませんでした。
 祝賀会では、プリンスホテルの美味しいコース料理が出てきました。少し贅沢な気分を味合わせてもらいました。

2007年10月14日日曜日

子供の脳が危ない!

 少林寺拳法武道専門コース 北陸地区 10月度で本部より派遣された大阪北清水道院 高辻吉治講師が配付した資料のタイトルが「子どもの脳が危ない!」でした。出典は、別冊PHP 2007年11月増刊号 P6〜8です。通常のB6版のサイズでなくB5版サイズの少し大きい雑誌です。
 記事を書いたのは、岡田尊司(精神科医)で医療少年院や病院の思春期外来での臨床経験と最近の脳科学の見知からの話です。
 内容の核心は、テレビゲーム依存の脳内でのメカニズムは、麻薬依存のメカニズムに極めて近いと言うものです。これは、ネット依存や携帯電話のメール依存にも共通するそうです。そして、大脳の機能低下が起こりうる。判断力や忍耐力、人への共感性低下、そして社会性の欠如へと至る。
 ショッキングで刺激的な内容ですが、少し冷静に考えるとゲームをしたから全ての子供がそうなるとは限りません。しかし、100人いたら何人かは影響を受けやすい子供がいることも事実だと思います。
 我々は、慌てる必要は無いと思いますが、子供がゲーム依存に陥る可能性があるかもしれない事を知っておく必要があります。
 養老孟司さんの書籍の中で読んだことがあるのですが、現代の親は自分の子供だったときの経験をそのまま子供に当てはめることが出来なくなっているそうです。
 私が子供だったとき、インターネットも携帯電話もありませんでした。テレビゲームのファミコンが発売されたのは中学生ぐらいだったと記憶しています。ネットや携帯電話、テレビゲームの影響が子供にどの程度あるかなど経験からはわかりません。
 また、私たちの親の世代(現在60才〜70才ぐらいでしょうか?)が子供だった頃、テレビはありませんでした。だから、私が小さかったときは、テレビの子供に与える影響についてさぞかし心配していたことでしょう。
 そのまた親は、戦後教育の激変に将来子供達がどうなるのか心配したことでしょう。
 社会環境は変えることは難しいでしょうが、 大切なことは、 子供を放置せず、干渉しすぎず、手をかけていくことでしょうか?
 今後も新しい知見が様々出てくると思いますが、その情報を参考にしながら、悩みながら子育てしていくしかないように思います。

2007年10月1日月曜日

ネクタイはどこ?

 2007年9月29日と30日の二日間に渡って、日本武道館主催の小松市地域武道指導者研修会が開催され、参加してきました。 派遣講師に(財)少林寺拳法連盟 新井唐弘会長と加藤義秋先生を迎え、大変有意義な講習会だった事は、支部だよりにも感想文を書きました。
 ここでは、29日の夕方に行われたレセフションのお話です。
 来賓は、新井会長、加藤先生に加え、小松市長さんもいらしていました。テーブル席で正式なレセフション形式でした。
 しかし、着ていった服装は、黒のスニーカー、棉パン、白地に縦のストライプのシャツ、麻のジャッケトというラフな格好でした。
 正式なレセフションと事前に判っていれば、それなりの格好をしてきたのに!!
 仕方がないので、ホテルに着いてから荷物を降ろし、外へ出かけました。上手い具合に、近くに洋服のAOKIがあったので飛び込みました。
 500円のネクタイを選び、レセフションに挑みました。
 前の方の席だったのでドキドキしながら式典に参加していました。懇親会に入り、ビールが入ると少し気が楽になりましたが、それまでは、何度もネクタイをお守りのように触っていました。若干顔が引きつっていたかもしれません?写真も撮られているんだろうと思いますが・・・。
 今回はうかつでした。案内文に懇親会ではなく、レセフションと書いてあった時点で気が付くべきでした。
 TPOにあった服装をしていないと恥ずかしい思いをします。開き直ってしまえばそれまでなのでしょうが、小心者なのでしかたがないです。
 500円のネクタイは今度どこかへしめていくかも知れません。500円には見えないものでした。

2007年9月15日土曜日

どちらが強い?

 先日、練習終了後に中学生から、こんな質問を受けました。
「少林拳と少林寺拳法は違いますよね」
「そうだね」と答えると
「じゃ、どちらが強いんですか?」
「きみは、どう思う?」と逆に質問しました。
「何かで、少林拳は最強だ!と言っていました。だから本当かな?と思って」
「○○が強い!、××が最強!、○○より××が強いんだって!」この手の話は、面白く聞いている分には問題ないと思います。それぞれもっともらしいことを言い合ってああでもない、こうでもない、と言っていれば害はありません。しかし、時々本当に口論になりがちです。「なに、そんなに言うなら本当にやるか!」「おう!」などと実戦にまで発展しかねません。最近は判りませんが、20数年前はそうでした。
 「どうちが強い?」の質問に答える為には、前提条件が2つあります。
 一つは、「だれとだれが?」と言う問題です。空手の達人と少林寺拳法習いたての白帯が対戦したら、当然、空手の達人が勝つでしょう。逆も同じで、空手が強いとか少林寺拳法が強いと言う問題でなくて、個人の力量の問題となってきます。
 二つ目は、ルールの問題です。相撲のルールで力士と柔道家が対戦したとすると大概勝つのは力士でしょう。 まわしだけで、 丸い土俵の中で足の裏以外が土に触れたら負けとなります。袖も襟も掴めない柔道家は柔道の良いところ一つも発揮できずに負けるでしょう。ルールがある場合は、ルールに特化した者が勝つのはあたりまえです。異種格闘技戦の場合もルールがあります。ルールが無かったら単なる喧嘩です。それこそ個人の力量次第の気がします。
 「野球とサッカーとどちらが強い?」に答えられる人はいないでしょう。ルールが違うのですから、「野球とサッカーとどちらが面白い?」は、個人の問題です。
 質問してきた中学生が本当に納得したかどうかは判りませんが、とりあえず頷いていました。さらに武道の本質の話をしました。
 武道には、本当の武道と偽の武道がある。本当の武道は、個人的には自己鍛錬の為に修行し、心身を錬磨する。そして、いざ運用するときは、争いを止め、社会に貢献する為に使用する。偽の武道は、自分の為だけに使用する。勝つ為だけに使用したり、お金を稼ぐ道具にしたり、名声や私利私欲を得る為だけに使用する。
 「どちらが強い?」の質問には、純粋な強さへの憧れがあるのでしょう。悪いことでは無いと思いますが、こんな事も知っていてもらいたいなと思いました。

2007年8月12日日曜日

運用法について考える2

 前に「運用法について考える」で 昨年の北陸学生連盟主催の運用法の講習会を頼まれたときにまとめた資料の一部を載せたつもりだったのですが、上手く表示されていないようなので、テキストとしてまとめなおすことにしました。
 練習の中での運用法の位置づけ
 私は、「自分の体の使い方を学習するのが最終的な目標なのかも?」と考えています。平常心を身につける所まで到達できたら幸せなのですが。
 練習の中には、「基本」「法形」「運用法」「演武」があり順番に練習して行くのではなく、お互いにつながっていると考えて練習した方が良いと考えられます。「運用法」や「演武」で課題が見つかったら「基本」、「法形」に立ち返えって練習する。また、「基本」、「法形」で身につけたことを「運用法」や「演武」で使えるかを試す。そんなイメージです。
 「基本」は、ボディーイメージを高める、体の使い方を染みこませる。
 「法形」は、効率良い体の使い方の組み合わせを学習する。一つの原理を他にも応用できるかも?→理を知る! 法形の真義
 「運用法」は、技の連絡、つながりを考える。技、体のバランスを学習する。即応能力 間合、虚実など当身の五要素の確認 先について
 注意:勝負にこだわってしまう。 自分の強さを誇る。やり方によっては、上記を増長させてしまう。(演武も同じですが・・・)
 「演武」は、基本的に運用法と同じと考えている。 約束事が多いか、少ないかの違い。 演武は、他に見せると言う視点が加わるか?
 「運用法」と「演武」の間は連続していると考えています。約束事が多いのが「演武」で約束事が少ないのが「運用法」です。約束事が一番少ない練習方法が、自由乱取りであり、約束事が色々増えて、限定乱捕りや防具がある、なし等となり、約束事が多いのが、自由組演武、規定組演武などです。
 また、法形の練習中であっても運用法の練習はできます。決まった攻撃であっても真剣に行うと、なかなか受けて、反撃する事が難しことが解るはずです。大切は事は、今、何を目的に練習しているかをお互いに理解して行う事です。
 次ぎに運用法を行う上での注意点について基本に立ち返りながらあれこれ考えてみたいと思います。
 構えについて
 構えの中には、身体的に充実した部分と虚の部分がる。(全身すべてに意識を向けるのは難しい!)構えの中の虚(きょ)の部分は意識を集中して即応できるようにしておく事が大切である。他の部分は、体勢にすきができないように構えることが大切である。
 例、一字構:下段に対して警戒し、上段を空けている。
       下段に対して体勢は充実している。
       上段に対して意識を向けている。
 虚実について
・体勢の虚(構えの乱れ)
・体質の虚(力が抜けた状態)
・精神の虚(油断)
 間合について
・基本間合、近間、遠間    相手との距離感を身につける。
 先について
 後の先:攻撃をかわし、受けてから相手の体の崩れを利用して反撃する
 対の先:相手の動きを予知して勝ちをとる(動きを読みとる)
 先の先:機先を制して勝ちをとる(不意打ちの様な形)気を読みとる
      攻防の機会を捉えたり、勘を養うことが必要かも?
 攻防の機会(瞬間を捉える)
・相手の構えに隙(すき)がある場合
・相手が攻撃をしようとする瞬間
・相手の技を殺し、体を崩した瞬間
・相手が体構を変える時
・相手の技がつきた時
      裏を返せば、残心が大切と言う事
 勘について     五管以外の感覚を鋭くする(第六感)
身につけるには?
・つねに問題意識を高く、鋭く持つ
・何事も他のものごとと関連させて考える
・考えるヒントとなる情報を豊富に蓄える
・興味と関心を広く開いて見聞を広げる
   など(運用法に限りません!アイデアを出す場合も同じです。)
 防具の使用について
・ケガ防止の為 (強く突き、蹴りを行うためではありません。)
・繰り返し行う、回数をこなす為の練習用です。
・安全対策のつもりが、使用法を誤ると逆に危険!(特にフェイスガード)
 最後に、「 自分の体の使い方を学習するのが最終的な目標かも?」と 最初に書いた事がまとめになるように思います。
 自分の体の使い方なんて意識することは少ないのですが、それを一度、意識的に行い、繰り返して無理や無駄を少なくして効率の良い動き方を身につけていく、そしてそれを無意識に動けるように戻していくのが目標となると考えています。これができると日常生活でも立居振舞が綺麗で無駄がない動きとなり、腰痛や肩こりと無縁になるのでは?

 ここからは少し脱線なのですが、私は理学療法士で病院のリハビリテーション室で仕事をしていますが、腰痛や肩こりは、痛い時は鎮痛を目的に行います。しかし、大切なことは、腰痛や肩こりにならないように日頃から動作や姿勢などに気を付けて予防しているかが重要となります。
 普通、腰痛は、健康であれば何もしなくても10日程度で治ります。治療するのは、痛みを軽減するか痛い期間を多少短くする程度で、ほとんどが自然治癒します。腰痛を繰り返したり、長期間に及ぶのは、動作や姿勢に無理があることが考えられます。これを放置していると慢性化して骨の変形や筋、腱、靱帯などの変成が起きてしまい治療するには手術が必要となってしまうかもしれません。
 効率良く、無駄の無い動作や姿勢を身につけていかないといけないのです。動作や姿勢に気を付けるだけでは解決しないような場合は、作業の機械化や道具の工夫など作業工程自体を見直す必要があるかもしれません。
 動作や姿勢の不良は、筋力が少ないと考えるより、筋肉の使い方、協調の仕方が悪いと考えられます。何気ない無意識の動きに腰痛の原因が考えられます。
 だから極端な事を言うと、
    「少林寺拳法の練習をすると腰痛や肩こりが治る!」
と言えるかもしれません。無理や無駄のない動きを身につけるように意識して練習している価値があるかも知れませんね。

2007年7月22日日曜日

新潟中越沖地震

 2007年7月16日 朝9時13分頃新潟県柏崎市周辺で大きな地震がありました。七尾でもかなり大きな揺れでした。今年3月の能登半島地震の時の様に縦揺れは、感じませんでした。 しかし、 横揺れは短い時間ですが同じ程度だったように思います。(物が倒れることはありませんでした。)
 マグニチュードの大きさも最大震度も能登と中越でほとんど同じ規模の地震であったのに、被害状況は中越地震の方が甚大なようです。やはり人口密度の差がでたのかもしれません。
 原発がある場所と震源地が近いのも能登と中越の共通点です。どこに原発を持っていっても地震の可能性はあると考えた方が良いのでしょう。
 今回の地震でもボランティアが活動しているようですが、現地で受け入れ体勢に混乱も見られるというニュースもありました。ボランティア活動を現地でするのも、救援物資を送るのも、現地の受け入れ態勢が整わないと上手く善意を活かせない様です。
 最後に、4月に全国道院長研修会(北信越地区)で行った寺泊は、今回の震災で少なからずの被害が出ているとニュースにありました。気になるところです。

2007年7月16日月曜日

運用法について考える

 昨日の2007年度少林寺拳法石川県大会で安田審判長が最後の講評で述べていた護身術としての少林寺拳法の技術の位置づけについて自分なりの考えをまとめてみたいと思います。
「演武は踊りでは無いので、形だけに囚われず、使える技術も身につけて欲しい。」と言う話は同感です。演武を綺麗に迫力をもって行うことは良いことだと思います。それで大会で良い成績を目指す事も意義が有ることだと思います。これは安田審判長も否定する物では無いと思います。
 少林寺拳法の技術を身につける最終的な目標は、自分の体の使い方を身につける事なのかもしれないと考えています。
 これは、組演武であろうと運用法(乱取り)であろうと同じだと考えます。そして、体の使い方であるから、少林寺拳法の技術だけに限らない体の使い方です。
 介護技術の中にも応用可能ですし(仕事柄考えること多いです)、立ったり座ったりの何気ない動作の時も同じです。
 立ち振る舞いが美しく、無駄のない動きが出来たら理想と考えます。そして、平常心まで身につける所まで行ければ最高でしょう。
 下に載せたのは、昨年、北陸学生連盟主催の運用法の講習会を頼まれたときにまとめた資料の一部です。

2007年7月15日日曜日

07石川県大会

 2007年7月15日、宝達志水町押水総合体育館に於いて2007年度少林寺拳法石川県大会が行われスタッフとして参加しました。
 進行担当となり12人の大学生と6人の一般支部からのスタッフと共に大会の進行にあたりました。仕事は、コートの運営と開会式、式典、閉会式の進行です。コート運営のシステムは上手く機能していました。最優秀者演武披露も表彰授与も上手く機能しました。スタッフもこちらが考えていた通りに動いてくれたので成功したといえるでしょう。改めて動いてくれたスタッフには感謝です。
 しかし、全体として終了予定時間が1時間遅れてしまいました。午前中の時点で30分程度遅れがでてしまい、お昼の時間で遅れを15分に短縮しましたが、本選終了時にまた、30分の遅れ、閉会式でさらに30分の遅れがでました。進行としては30分以上遅れてきた時点で最優秀者演武披露はカットしたかったのですが、表彰状が出来上がっていなかったのでカットすることはできませんでした。
 今後、反省会が行われると思いますが、他の部門での事も判ればはっきりした今後の対策も考えられるでしょう。
 最後に自分の話を一つ。予想はしていましたが、お昼のお弁当を食べることが出来ませんでした。お弁当を空けて、一口、二口食べた所で呼ばれてしまいました。帰ってきてから脚が妙に突っ張っていました。考えてみたらほとんど座っていませんでした。

2007年6月10日日曜日

命のつながり

 第3回七尾市民体育大会少林寺拳法競技終了後、少林寺拳法創始60周年のお話をしました。
 何故、開祖が60年前に少林寺拳法を始めようとしたのか?
  「動機と目的について」
 60周年のテーマ「ありがとうこの命、ありがとうあなたとの出会い」について
 「いのちのまつり ヌチヌグスージ」(草場一寿/作 平安座資尚/絵)という絵本を使って 命のつながりについて説明してみました。
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 自分が存在する為には、お父さん、お母さんの2人がいなければ生まれてこなっかた。お父さんとお母さんは自分にとってはご先祖様だ!
 そのお父さんとお母さんを生んだのは、おじいちゃんとおばあちゃん!2人づつだから合計で4人。そのまた おじいちゃんとおばあちゃんは、8人。そのまた おじいちゃんとおばあちゃんは、16人。 おじいちゃんとおばあちゃんは、32人。ここまでで、すでにご先祖様は、62人もいる!
 そのまた、おじいちゃんとおばあちゃんはと考えていくと、自分が存在する為には過去に沢山のご先祖様がいたおかげであり、だれか一人が欠けても自分は存在しないことに気づく。もっともっとさかのぼっていくと、地球に生命が誕生したのが35億年前と言われているが、そこから始まって、現在の地球上の多様な生命にまでつながっている。
 そして、現在の自分の命は、将来の子孫が存在するために必要である。
 命のリレーが繰り返されている。
 自分だけの孤独な命はありえない。過去から未来に向かってつながっている命の存在に気づこうではないか。気が付いたら「ありがとうこの命」と言うテーマが自然と理解できたのではないでしょうか?
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 これは諸行無常(しょぎょうむじょう)の面を表しているのだと思います。川の流れは変化していないように見えるけれど、それを構成している水は常に変化している。
 自分の体を考えても、毎日細胞が入れ替わっている。つまり生まれて、死んでいっている。常に入れ替わっているのに自分という存在はある。但し、少しずつ変化していっていますが、「老化」と言う形で。
--------------------------------------------お話し------------------------------------------------
 「ありがとうあなたとの出会い」は、例えば
「今、先生です。支部長です。」と言っていられるのは皆さんがいるからです。一人だけで「先生です。支部長です。」と言っても滑稽なだけです。つまり自分一人だけであるわけではありません。必ず他との関わりが有るわけです。私が少林寺拳法を始めた切っ掛けをもらった先輩がいます。途中で止めずに続けて来られたのも多くの仲間がいたからです。
 現在の自分があるのは、多くの仲間と現在の皆さんの存在が無ければありえません。感謝をしています。皆さんも今日は演武を行いましたが、相手がいなければ演武を行うことは出来ませんでした。練習すらできません。大切な相手なのですからお互いに感謝しましょう。
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 これは、諸法無我(しょほうむが)のことではないでしょうか?諸行無常が過去から現在、そして未来についての連続性を表しているとすると、諸法無我は、現在の横への連続性、関係性を表しているのだと思います。
 時間軸と空間軸での連続性、関係性から自分という存在を考えると「生かされている自分」に気が付くのではないでしょうか。それが涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の世界なのかもしれないと私は考えています。
 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静が仏教での三法印です。仏教の世界観を表していると解説されています。そこから何を読みとるかは人それぞれかも知れませんが、私は、60周年のテーマ「ありがとうこの命、ありがとうあなたとの出会い」を聞いて三法印を思い浮かべました。

2007年4月29日日曜日

全国道院長研修会(北信越地区)

 今年は、少林寺拳法創始60周年の年であり、総裁、会長、代表のそれぞれの意気込みを感じることが出来た研修会だったと思います。
 28日は、朝からバスに揺られて新潟へ!出雲崎町中央公民館で研修会が始まりました。公民館と聞いていたので狭いイメージがあったのですが、体育館があり研修室が多数あり立派な研修施設でした。
 夕方から60周年の祝賀会があり、会場となった寺泊岬温泉ホテル飛鳥の窓からは日本海に沈む夕日がとても印象的でした。
 29日は、研修会終了後、研修会場の直ぐ隣にある「良寛記念館」に立ち寄りました。子供達と毬つきをする良寛さんのイメージが強いのですが、若いときに大きな挫折も味わっての晩年の境地だたことが想像されました。挫折を経験し潰れてしまっては仕方がないのですが、それを深みに変えることができたら、挫折も悪くないと思います。
 研修会の事を書こうと思っていたのですが、ほとんど書いていませんね。最後に、久しぶりに新潟に行きましたが、やはり遠いですね。

2007年4月3日火曜日

ボランティアについて考える

 石川県少林寺拳法連盟としてボランティア活動をするべきかどうか?
 難しい判断だと思います。団体で現地に行って、こちらの都合で活動しようとすると、多分、邪魔なだけのような気がします。団体で活動したくても現地の指示に従わなければなりません。大勢で行っても何も活動をしないで帰ることになるかもしれません。
 実際に、バスで現地に30人以上で乗り込んできた団体もありましたが、半数の方はバスの中で待機していました。
 現地の要望に対して組織としてどの様に動けば効率的かを考えなければなりません。
 石川県少林寺拳法連盟の組織としてどの様な形で動くかは、もう少し今後の情勢を見極めるべきなのでしょうか?
 個別に動くのを県連としてバックアップするという方法が、現段階ではベストな判断だと思います。
 その内に良いアイデアも出てくるかもしれません。

2007年3月31日土曜日

ボランティアに行ってきました

 本日朝から、能登半島地震で一番被害が大きかった門前町に職場の仲間4人でボランティアに行ってきました。
 朝7時に七尾を出発しました。七尾市中島町の辺りから穴水町に近づくにつれて屋根にブルーシートをかけた家や塀が倒れていたり、壁が崩れている家がちらほらと見受けられました。考えていたよりずっとスムーズに現地に到着し、8時20分にボランティア用の駐車場に入れました。
 来る途中、建物が倒れていて道を塞いでいる場所などがあり交互通行も数カ所ありました。 しかし、地震から1週間経っているので比較的町の様子は落ち着いていました。 所々に警察の方が交通整理の為に立っているのですが、土日はボランティアの数が増えるので県内から交代で派遣されて来ているそうです。また、巡回のパトカーも何台も走っていました。これは、不届きな震災泥棒防止の為でもあるそうです。中越地震の際にはボランティアのふりをして泥棒に入る者が多数いたそうです。
 自衛隊の車両や給水車なども多数みました。この様なときは、自衛隊の制服を見ると頼もしく見えます。
 ボランティア本部になっている東門前小学校の前にボランティア受付があるのですが、そこに行くまでにも道にひび割れがあったり、段差があったりしました。よく見ると、マンホールが隆起したのか、その周りが陥没したのか判りませんが、マンホールごとに凸凹していました。
 受付では、受付表に名前を書き入れ、ガムテープに名前をマジックで書き、ボランティア保険に入って、9時まで待機でした。
 9時からスタッフの方が住民の方の依頼用紙に基づいて必要な人数と内容を読み上げ、参加者をつのる仕組みでした。依頼内容は、炊き出しのお手伝い、家の後かたづけ、ゴミの分別、ゴミの回収、などです。専門的な内容の物は、行政が別に依頼しているようです。
 我々は、家の後かたづけのお手伝いとゴミの分別を依頼してきたお宅に伺うことになりました。依頼した家が遠い場所の場合は、本部が用意した車で移動なのですが、我々は、本部から歩いて5分程度の場所で活動しました。
 現地に着いてみると依頼してきたのは腰の曲がった80才は軽く越えている様な、おばあちゃんの家でした。お孫さん2人が手伝いに来ていたのですが、とても手が回らないのでボランティアセンターに依頼したそうです。
 ここで、ボランティアセンターの手違いで依頼が二重になっていたようで、2グループが同じお宅に来てしまいました。しかし、大人数の方が早く作業が進むだろうと言うことでそのまま活動することになりました。
 このお宅は、昔、仕出しをしていたそうで、土蔵の中には茶碗や皿、お椀、お重、お膳などが大量にありました。また、農業も行っているので農機具も新しいのから資料館にあるような農具までありました。
 おばあちゃんはかなり几帳面な方のようで分類された箱にはいついつ、だれからもらった記念の品物とか、だれそれの結婚記念品とか何々用の品だとか表書きがしてありました。それが土蔵の中でぐちゃぐちゃになっているのです。当然、母屋の中も同じような感じでした。
 母屋は柱もゆがんでいる状態なので、順番として、建物としては問題ない、土蔵の中を整理して不要品をゴミとして出し、必要な物を土蔵に運び込んで母屋を空ける事になりました。いずれ母屋の修理をする為です。
 おばあちゃんにとっては、どれも思い出の品なので、かなり悩みながら、必要な物と不必要な物の選別になりました。おばあちゃんに、これを捨てても良いかと聞くとどれも取っておきたい様子で、お孫さんに説得されてしぶしぶ諦めていました。我々は、おばあちゃんの思い出をゴミとして捨てる手伝いをしたことになります。少し複雑な気持ちでした。
 家の中から持ち出された物を、燃えるゴミと燃えないゴミ、金属類と分別しました。 ゴミは大量で、 写真の様に家の前には山のように積まれました。それを別のボランティア斑がトラックで巡回してきて集積場所へ運んでいきます。合計トラック4台分のゴミが運び出されました。
 軍手とマスクは必需品です。できれば帽子。タオルでも良いのですが、頭はススだらけになりました。そしてカッター。段ボールなどを解体するときに便利です。これは、同じ斑になった神奈川県から来ている方が持っていました。この方は、中越地震の時も1週間ほど現地で活動していたそうで、小道具を色々持ってきていました。 電灯がつかなくて室内が暗い場合もあるので、ライトもあった方が便利だと言うことで今回も使用していました。経験してみないと気が付かないことは多い物です。
 午前中はここまで、一端昼食の時間です。ここで雨が降ってきました。外での作業は大体終わっていたので助かりました。人数が多くいたので出来たことです。1つの斑では、終わらなかったかもしれません。
 午後からの最大の難問は、仏壇の移動です。仏壇は、高さもあり、かなり大きいのです。 さらに天井も低い為、 仏壇を倒そうとしても、仏壇の角が天井につかえて、部屋から出せませんでした。天井は、手を挙げると届く高さです。肘を伸ばすことは出来ません。
 考えた末、畳を退けてみることにしました。畳の厚さ分だけ下がったので何とか天井につかえないで仏壇を傾けることができました。男性6人がかりで土間の部分にとりあえず出しました。
 後は、母屋のこまごまとした物の整理をして3時すぎに作業は終了しました。ボランティアセンターに戻って、作業の終了を報告して解散となりました。
 ボランティア活動をしてみて感じたことは、一般のボランティアが出来ることは限られているのだなと思いました。これは、行く前からある程度判っていたことなのですが、実際に活動してみて実感しました。
 被災した方の依頼が無ければ活動することはほとんどありません。人数もこの土日は十分に足りていたようです。
 足りないのは、又は早急なのは専門家の活動です。仮設住宅とか医療ボランティア、水道、道路の補修、家屋診断、倒壊家屋の撤去、などなどだと思います。
 ボランティアセンターの方が言っていましたが、「待つ事も仕事ですので、被災した方からの依頼が無ければ待ってもらいます。」「勝手に動くと逆にトラブルになるか、迷惑になるだけなのでお願いします。」と言う事でした。
 しかし、それでも自分にも何か出来ることが無いだろうかと思っていってきました。担当した家のおばあちゃんが言っていたのですが、「ボランティアの方が来てくれるだけで嬉しい。」話し相手になるだけでも気がまぎれるのだと思います。
 今後時間の経過と共に必要となってくるボランティアの内容が変化してくると予想されます。仮設住宅のめどが立ってくれば引っ越しの手伝いや清掃活動などが考えられます。息の長い活動が求められるのではないでしょうか?
 繰り返しになりますが、一般のボランティアが出来ることは限られていると思います。しかし、助けを求められたときに手をさしのべる準備だけはしておきたいと思います。

2007年3月26日月曜日

能登半島地震

 昨日、能登半島の北部で地震がありました。
輪島市門前の方ではかなり被害が出ているようです。
七尾市の東側である我が家では全く問題ありませんでした。
本棚の本が何冊か落ちた程度です。
食器や硝子も一つも割れていません。
タンスの引き出しが少し空いていたくらいです。
北西に向かうに従って揺れが大きかったようです。
同じ七尾市と言っても北西部は震度6強だったようですが、市街地から東側は震度5強
この辺りは震度4〜5弱だったのではないかと思います。
時々起こる余震を感じるくらいです。
地震直後は一時停電しましたが、直ぐに復旧し、水道も問題ありませんでした。
被災した地域が近いにもかかわらず、どこか遠い地域の出来事のようです。
と、書いている最中にも軽く揺れを感じました。震度1程度でしょうか?
(写真は一番被害が大きかった門前町の様子です 3/31撮影)

2007年3月22日木曜日

喧嘩の原因2

今日、練習中に小さな喧嘩がありました。
別に珍しいことではないのですが、喧嘩の原因が良く判らないのです?
2年生の子同士がそれまで仲良く遊んでいたのに急に蹴り合いをしていました。直ぐに止めて二人を引き離しました。しばらくして落ち着いてから喧嘩の原因を二人から聞き、周りにいた子からも聞いてみました。しかしはっきりしないのです。「一人が相手をみてクスクスと笑ったのが気に入らなかったから喧嘩になった?」と言うのが結論の様なのですが良く判りません?
 一週間ほど前にも喧嘩がありました。これは原因がはっきりしています。2年生の子が3年生の子にからかう様にはやし立てたのに腹を立てて、3年生の子が2年生の子に手を出しました。そこに近くいた2年生2人が同じ2年生の子に加勢をして結局1対3で争いを始めた所を私が止めました。
 2年生の子達は、全く悪気は無かった様なのですが、言われた3年生の子は本当に腹を立てていたようです。言ってる方は重要に感じていなくとも言われた方が深く傷つく事は良くあることだと思います。
 子供達が喧嘩をすることは別に悪いことではないと思います。そこから色々なことを学んで、人とのコミュニケーションの方法を身につけてくれれば良いと思います。
 問題は、そこからいじめなどに発展しないように大人が上手くコントロールできるかだと思います。
 幸いにも私の目の届くところで起きている争いなので、何とかコントロールできています。争っている本人達を仲裁し納得させるのも大切ですが、周りにいる子達にも納得するような解決ができると周りにいること達もそれが学習になると思って仲裁しています。
 今回は前述したように喧嘩の原因が良く判りませんでした。仲裁のしようがありません。「双方が悪い」と言うことでお互いに謝って無理やり終わりにしました。

悪口を言わない

喧嘩を納めた後に法話をしました。

先生は、後で相手が嫌な思いをするような嘘はつかないようにしています。また、他人の悪口は言わないようにしています。
他人をからかったり、笑い物にするのも好きではありません。
テレビのバラエティ番組で、そんな場面を視るのもあまりいい気はしません。同じ笑わせるなら、全ての人が楽しくなったり、嬉しくなるような笑いが良いなと思います。
何故、そんな風にしているかと言うと、先生は病院で働いているからかもしれません。病院には体の具合が悪い人達が来ます。具合が悪い人にさらに嫌な思いをさせるような言葉をかけるのは良いことだとは思いません。
同じ声をかけるなら元気が出るような言葉をかけてあげた方がよっぽど良いと皆さんは思いませんか?
   「思う」とうなづく子が多数
なら、友達も同じだと思います。
だから先生は、 後で相手が嫌な思いをするような嘘はつかないようにしています。また、他人の悪口は言わないようにしています。
他人をからかったり、笑い物にする様な事は言わないようにしているのです。

子供達の頭のどこかに残ってくれたら良いなと思っています。

2007年3月17日土曜日

合格祈願

 来週、少年部初段を受験する子がいます。能登七尾支部としては初めて8級から順番に昇級し初段まで来た子です。
 受験するのを制限したり、受験する基準を厳しくしているつもりはないのですが? 今までは、4、5年生の3級を取って止めていく子がいたり、6年生まで練習したけど緑帯止まりで中学に進級して部活が忙しくなり止めた子が多いのです。
 それが、昨年辺りから少し傾向が変わってきました。小学6年生で1級を取った子が、部活と両立しながら中学生で初段になりました。
 それを見ていた子が、自分は6年生の間に初段を取るんだと頑張り始めたのです。現在頑張って練習中なのですが、初段合格して中学生になっても継続してくれることを願っています。(サポート出来ることは何でもするから)
 もう一つ合格祈願があります。高校3年(もう卒業式は終わったか・・)の受験生が練習にきているのですが、まだ大学合格の吉報を報告しに来てくれません。前期はだめだった様なので心配しています。合格のお祝いと送別会をしようと考えているのに計画も立てられないでいます。
 早く「桜咲く」の吉報を!!!

2007年3月8日木曜日

ピカピカの新入門

今日、入門式を行いました。
入門式をしながら、会報少林寺拳法2006年6月号三遊亭圓王の少林寺拳法川柳講座に佳作として採用された句を思い出しました。
 ピカピカの
 道着がならぶ
 1年生
某CMのコピーみたいなフレーズですが、あくまでオリジナルです。
道着を自分で着られるかどうか、帯も自分で結べないような子供達が緊張し、少し誇らしげに列んでいるのは、とてもかわいい姿です。
自分の入門式の時も緊張しながら列んでいた事を思い出しました。
何事にも初心を忘れたらいけませんね

2007年2月11日日曜日

私もスキーにつれてって〜〜

 今日、家族で県内のスキー場へ行ってきました。暖冬でスキー場への道もほとんど雪がありませんでしたが、スキー場はスキーをするのには問題ない程度に積もっていました。近年は、子供に教えるだけで、全く滑る機会がありませんでした。今回は、久しぶりに滑る時間があるかな?と期待して出かけました。その時の失敗談です。
 長女は、3シーズン目で最初はもたもたしていましたが、慣れてくるとそれなりに滑っていました。二女はスキー初体験です。リフトを使わず一生懸命に山を登り、滑って(転んで)を繰り返していました。
 後半、まだ上手く止まれませんが、それなりに長く滑れるようになってきました。そこで、少し長めに滑ることにして、かなり高くまでえっちらおっちら3人で斜面を登りました。長女はさっさと一人で滑って行ってしまいました。二女と二人で少しずつ降りてきたのですが、私の口調が段々厳しくなり、最後にはだっまていました。少しイライラしていたようです。
 たっぷり時間をかけ、何とか無事?に降りてきて、2人ともすっかり疲れ果ててしまいました。二女のスキー初体験はこれにて終了です。それなりに満足していたようです。
 帰ってきてから学校の宿題で作文(日記)を書くのものがありました。早速二女は今日のスキーについて書いていました。
  〜〜〜〜
  今日のお父さんは、「・・・#」でした。
  〜〜〜〜
 子供からずばりと指摘されてしまいました。
「・・・#」て何?  そんなに怒っているように見えた?
「とほほ」の気分です。
 教えるときには、相手の事を考えながら行わないと、いけないと改めて考えさせられました。今回は二女を早く滑るようにしてしまい、自分も滑りたいと言う考えがあったので、なかなか上達しないのでイライラしていたようです。自己中心的なものの考え方で勝手に一人でイライラして叱っていたようです。
 普段でも、大人の都合で子供を叱ったりしていないかを反省させられました。もちろん二女には「ごめんなさい」と謝りました。「お父さんが勝手にイライラしていただけで、あたたは悪くありません。初めてスキーに行って上手に滑る事ができないのはあたりまえの事です。」と。
 これに懲りないでまた、一緒にすきーに行こうね。

2007年1月20日土曜日

一休み?

 道場建設の話は一休み状態です。1月中は、進展がないかもしれません。建築のコストダウンの為に検討が続いています。私の叔父が設備会社をしているのですが、コストダウンの可能性を検討してくれています。
 一つは、中古の便座や洗面台を持ってくる方法を考えているようです。もう一つは、一番高い人件費を私が手伝うことで少しカットする方法の様です。当然、材料費からの見なおしもしてくれているようです。
 と言うことで私の仕事は、感謝しながら待つ事です。