2007年3月31日土曜日

ボランティアに行ってきました

 本日朝から、能登半島地震で一番被害が大きかった門前町に職場の仲間4人でボランティアに行ってきました。
 朝7時に七尾を出発しました。七尾市中島町の辺りから穴水町に近づくにつれて屋根にブルーシートをかけた家や塀が倒れていたり、壁が崩れている家がちらほらと見受けられました。考えていたよりずっとスムーズに現地に到着し、8時20分にボランティア用の駐車場に入れました。
 来る途中、建物が倒れていて道を塞いでいる場所などがあり交互通行も数カ所ありました。 しかし、地震から1週間経っているので比較的町の様子は落ち着いていました。 所々に警察の方が交通整理の為に立っているのですが、土日はボランティアの数が増えるので県内から交代で派遣されて来ているそうです。また、巡回のパトカーも何台も走っていました。これは、不届きな震災泥棒防止の為でもあるそうです。中越地震の際にはボランティアのふりをして泥棒に入る者が多数いたそうです。
 自衛隊の車両や給水車なども多数みました。この様なときは、自衛隊の制服を見ると頼もしく見えます。
 ボランティア本部になっている東門前小学校の前にボランティア受付があるのですが、そこに行くまでにも道にひび割れがあったり、段差があったりしました。よく見ると、マンホールが隆起したのか、その周りが陥没したのか判りませんが、マンホールごとに凸凹していました。
 受付では、受付表に名前を書き入れ、ガムテープに名前をマジックで書き、ボランティア保険に入って、9時まで待機でした。
 9時からスタッフの方が住民の方の依頼用紙に基づいて必要な人数と内容を読み上げ、参加者をつのる仕組みでした。依頼内容は、炊き出しのお手伝い、家の後かたづけ、ゴミの分別、ゴミの回収、などです。専門的な内容の物は、行政が別に依頼しているようです。
 我々は、家の後かたづけのお手伝いとゴミの分別を依頼してきたお宅に伺うことになりました。依頼した家が遠い場所の場合は、本部が用意した車で移動なのですが、我々は、本部から歩いて5分程度の場所で活動しました。
 現地に着いてみると依頼してきたのは腰の曲がった80才は軽く越えている様な、おばあちゃんの家でした。お孫さん2人が手伝いに来ていたのですが、とても手が回らないのでボランティアセンターに依頼したそうです。
 ここで、ボランティアセンターの手違いで依頼が二重になっていたようで、2グループが同じお宅に来てしまいました。しかし、大人数の方が早く作業が進むだろうと言うことでそのまま活動することになりました。
 このお宅は、昔、仕出しをしていたそうで、土蔵の中には茶碗や皿、お椀、お重、お膳などが大量にありました。また、農業も行っているので農機具も新しいのから資料館にあるような農具までありました。
 おばあちゃんはかなり几帳面な方のようで分類された箱にはいついつ、だれからもらった記念の品物とか、だれそれの結婚記念品とか何々用の品だとか表書きがしてありました。それが土蔵の中でぐちゃぐちゃになっているのです。当然、母屋の中も同じような感じでした。
 母屋は柱もゆがんでいる状態なので、順番として、建物としては問題ない、土蔵の中を整理して不要品をゴミとして出し、必要な物を土蔵に運び込んで母屋を空ける事になりました。いずれ母屋の修理をする為です。
 おばあちゃんにとっては、どれも思い出の品なので、かなり悩みながら、必要な物と不必要な物の選別になりました。おばあちゃんに、これを捨てても良いかと聞くとどれも取っておきたい様子で、お孫さんに説得されてしぶしぶ諦めていました。我々は、おばあちゃんの思い出をゴミとして捨てる手伝いをしたことになります。少し複雑な気持ちでした。
 家の中から持ち出された物を、燃えるゴミと燃えないゴミ、金属類と分別しました。 ゴミは大量で、 写真の様に家の前には山のように積まれました。それを別のボランティア斑がトラックで巡回してきて集積場所へ運んでいきます。合計トラック4台分のゴミが運び出されました。
 軍手とマスクは必需品です。できれば帽子。タオルでも良いのですが、頭はススだらけになりました。そしてカッター。段ボールなどを解体するときに便利です。これは、同じ斑になった神奈川県から来ている方が持っていました。この方は、中越地震の時も1週間ほど現地で活動していたそうで、小道具を色々持ってきていました。 電灯がつかなくて室内が暗い場合もあるので、ライトもあった方が便利だと言うことで今回も使用していました。経験してみないと気が付かないことは多い物です。
 午前中はここまで、一端昼食の時間です。ここで雨が降ってきました。外での作業は大体終わっていたので助かりました。人数が多くいたので出来たことです。1つの斑では、終わらなかったかもしれません。
 午後からの最大の難問は、仏壇の移動です。仏壇は、高さもあり、かなり大きいのです。 さらに天井も低い為、 仏壇を倒そうとしても、仏壇の角が天井につかえて、部屋から出せませんでした。天井は、手を挙げると届く高さです。肘を伸ばすことは出来ません。
 考えた末、畳を退けてみることにしました。畳の厚さ分だけ下がったので何とか天井につかえないで仏壇を傾けることができました。男性6人がかりで土間の部分にとりあえず出しました。
 後は、母屋のこまごまとした物の整理をして3時すぎに作業は終了しました。ボランティアセンターに戻って、作業の終了を報告して解散となりました。
 ボランティア活動をしてみて感じたことは、一般のボランティアが出来ることは限られているのだなと思いました。これは、行く前からある程度判っていたことなのですが、実際に活動してみて実感しました。
 被災した方の依頼が無ければ活動することはほとんどありません。人数もこの土日は十分に足りていたようです。
 足りないのは、又は早急なのは専門家の活動です。仮設住宅とか医療ボランティア、水道、道路の補修、家屋診断、倒壊家屋の撤去、などなどだと思います。
 ボランティアセンターの方が言っていましたが、「待つ事も仕事ですので、被災した方からの依頼が無ければ待ってもらいます。」「勝手に動くと逆にトラブルになるか、迷惑になるだけなのでお願いします。」と言う事でした。
 しかし、それでも自分にも何か出来ることが無いだろうかと思っていってきました。担当した家のおばあちゃんが言っていたのですが、「ボランティアの方が来てくれるだけで嬉しい。」話し相手になるだけでも気がまぎれるのだと思います。
 今後時間の経過と共に必要となってくるボランティアの内容が変化してくると予想されます。仮設住宅のめどが立ってくれば引っ越しの手伝いや清掃活動などが考えられます。息の長い活動が求められるのではないでしょうか?
 繰り返しになりますが、一般のボランティアが出来ることは限られていると思います。しかし、助けを求められたときに手をさしのべる準備だけはしておきたいと思います。