2013年1月31日木曜日

三人のレンガ職人の話

2013年1月31日 少林寺拳法の修練最後に法話をしました。

 今日は、最近読んだ本に書かれていた、イソップ物語の一つをお話ししたいと思います。ウソップ物語ではありません。ウソップだとワンピースになってしまいます。
 ある時、ある国で、三人のレンガ職人がいました。三人のレンガ職人にそれぞれ話しを聞きました。
 一人目のレンガ職人に聞きました。「あなたは、何をしているのですか?」一人目のレンガ職人は、イライラしながら答えました。「見て判らないか?レンガを積んでいるんだよ」
 二人目のレンガ職人に聞きました。「あなたは、何をしているのですか?」二人目のレンガ職人は、忙しそうにしながら答えました。「来週までにレンガを積んで壁を作らなければならないんだよ」
 三人目のレンガ職人にも聞きました。「あなたは、何をしているのですか?」三人目のレンガ職人は、楽しそうにレンガを積みながら答えました。「今、何百年も壊れないで建っているような立派な教会を建てているんだよ」と
 三人は同じ様にレンガを積む職人です。でもどうして仕事の取り組み方が違うのでしょうか?
 それは、仕事に対するそれぞれの目標の持ち方に違いがあるからです。
 一人目のレンガ職人は、親方から「やれ」「やれ」と言われて仕事を嫌々にしているのでしょう。
 二人目のレンガ職人は、親方から来週までに壁を作れと言われて、ノルマ達成のために汲々としているのでしょう。「ノルマって判りますか?」しなければいけない課題、宿題の様な物でしょうか?
 三人目のレンガ職人は、何百年も保つような、地震でも壊れないように、しっかりとレンガを積んで、立派な教会を建てるという目標があったから楽しく仕事が出来るのだと思います。
 少林寺拳法の読本の中にもあった、「修行の心得」八つありましたね。
 その第一番目に「修行目的の確立」とありました。正しい目標を持つことが大切なのですね。
 勉強でも、お母さんや学校の先生から「勉強しなさい」「勉強しろ」と言われると嫌になってしまいますよね。一人目のレンガ職人です。
 「来週テストがある」と慌てて勉強しているのは、二人目のレンガ職人ですよね。
 将来の夢があり、その為には、この勉強をしなければならないから、いま少し辛くても勉強をしています と言うのが、三人目のレンガ職人でしょうか?
 少林寺拳法の修行では、嫌々練習をしているのが、一人目のレンガ職人です。
 昇級試験を受けるから、慌てて練習しているのは、二人目のレンガ職人です。
 自己確立や自他共楽など大きな目標を持ってするのが、三人目のレンガ職人です。
 同じやるなら三人目のレンガ職人のように、大きな目標を持ってくださいね。

 指導者としては、三人目のレンガ職人のように、大きな目標を持たせられるように指導ができれば最高ではないかと思います。

2013年1月26日土曜日

ひとみ四十九日法要時の挨拶

 本日は、大寒で、雪が積もる中、娘 ひとみの四十九日法要にお集まり頂きましてありがとうございます。
 本日、お集まりの皆様には、ひとみの葬儀の際には、大変お世話になりました。改めてお礼申し上げます。
 あまりに突然の事で、葬儀の際には、言葉が足らなかったり、考えが至らなかったり、行動が伴わなかったりと、皆様には大変ご迷惑お掛けしたのではないかと思います。
 本日も、到らない点があるかもしれませんが、精一杯、法要をいとなんでいきたいと思いますので、よろしくお願いします。
 では、早速、はじめさせて頂きます。

と最初の挨拶を行った。(細かい箇所は違うかもしれないが、大体こんな感じの内容を話したと記憶している)

ひとみ四十九日法要

2013年1月26日(土)ひとみ四十九日法要
早いもので、7週間が経ちました。
まだまだ、気持ちの整理はできませんが、
これで、とりあえず、一区切りとしたいと思います。
過去を振り返ってばかりではいけないと思いますが、つらつらと考えてしまいます。
そして、「これからは新しい思い出は一緒に作れないのだな〜」と思うと辛くなってくるのです。
表面的には、元気に笑顔で仕事をしています。
少林寺拳法の修練にも出ています。
何事も無かったかの様に日常を過ごしています。
しかし、行動と気持ちに、少し乖離があります。
仕事をしていても ふと物思いにふけってしまうことがあります。
気持ちの区切りを付けなければと思っています。
これが、7週間目の気持ちです。

2013年1月20日日曜日

永遠の17才

最近、涙腺がゆるくなっているような気がします。
しかし、「男泣きに、男泣き!」とはなりません。そう出来れば、随分楽になるような気がしますが、そこまではいきません。
今まで、何でも無かったことに、何となくウルっとくる回数が増えたように思います。
ウルっとなるポイントが何かを考えていたのですが、思い当たる節があります。
いなくなってしまったことは、寂しいけれど泣くポイントではありません。
成人式の若者を見たり、センター試験のニュースを聴くと辛くなってきます。
「来年の今頃は入試に追われているのだろうな〜」
「三年後は成人式に晴れ着をきるのかな〜」
「運転免許をとったら、助手席に一番に乗るぞ!」など
今後、絶対に達成されない事を想像して、
「もう、これらは叶わない事なのだな〜」
「体験させてあげたかたな〜」
「どんな様子になるのだろう?どんな反応をするのだろう?」
と考えるとウルっときてしまいます。
永遠の17才なんだと思うと、涙腺が緩むようです。

2013年1月10日木曜日

体罰、暴力と教育的指導の違い

 大阪市の高校で部活顧問からの体罰後に自殺した事件について、その2 です。
 よく議論になるのは、「教育的指導の為に体罰は必要か?」という命題です。
私は、この命題に対して、「Yes、No」と答える事が良いのかどうか考えてしまいます。論点とする所が違うと考えるからです。
 暴力と教育的指導の違いとは何でしょうか?
 体罰を行った側に聴けば、だれでも「あれは教育的指導の為に行った」と答えるでしょう。熱心に指導する人であれば、当然、そう答えるに違いがありません。
 ただ待ってください。体罰を受けた側の言い分はどうでしょうか?
 論点にする場合は、受けた側の事を考える必要があると思います。
 暴力か教育的指導かの違いは、受けた側の心情に違いがあるのではないでしょうか?
 体罰を受けた側が、「嫌だ!怖い!止めてくれ!」と感じていたら、それは暴力です。直接的に手を出さなくても言葉の暴力もあると思います。
 受けた側が、「これは自分が悪かった」「これからは、こうしよう」と反省して行動を変えることができれば教育的指導になるのだと思います。感謝しても恨みに思うようなことは無いのではないでしょうか?
 最近、パワーハラスメントと言われますが、体罰もまったく同じ事だと思います。立場が強い方が、配慮無く行った事が、相手にとって苦痛ならば、パワーハラスメントです。
 これと同じだと思います。立場が強く、力を持つ者は、配慮が必要です。
 「力愛不二」です。

2013年1月9日水曜日

一美さん

1月9日
ちょうど一ヶ月が経ちました。今日は月命日です。

今日は、ちょとした驚きがありました。
高校生の一美(かずみ)さん に会いました。
何がそんなに驚いたかと言うと
亡くなった「ひとみ」の法名(戒名)が「釋一美(しゃくひとみ)」です。
「一美」と書いて「ひとみ」と読みます。
今日は、同じ漢字の「一美」で「かずみ」と読む高校生の子と出会いました。
「かずみ」だと多くは「和美」「和実」と漢字で書くことが多いと思います。
しかも、高校生です!
顔には出さない様にしながら、内心、驚いていました。

2013年1月8日火曜日

「高校生体罰後の自殺」の記事をみて

今日のニュースでは「高校生体罰後の自殺」と報道されていました。
大阪市の高校バスケットボール部の顧問による体罰後に高校生が自殺をしたと言うものです。
かなり強豪校であった。他の部員も体罰を受けたことがあると答えている。ともありました。
何故、死を選んだのでしょうか?
それしか訴える手段が無かったから?
当てつけのため?
他に逃げる方法は無かったのか?
本人にしか判らない、深い理由もきっとあったのでしょう。
しかし、
どんな理由があっても、死を選ぶべきでは無いと思います。
このニュースを聴いて、脱力感に襲われました。
片や、死など考えてもいなかった者が突然に亡くなり!
片や、自ら死を選ぶ!
「いらない命なら、交換してくれ!!」と叫びたくなります。
どんなに苦しくても、命あることが奇跡なのですから大切に生きて欲しいと思います。
今までも、同じ様な事件が繰り返されてきましたが、今回は特に心に刺さりました。

このブログは、半分、自分の日記の代わりですから、ここに書いても、他にはほとんど伝わらない思いますが、書かずにはいられなくて書きました。

2013年1月6日日曜日

4週間たちました

2013年1月6日(日)今日は休日出勤でした。
4週間前も日曜日の休日出勤でした。
今日の午後からは何となくブルーな気持ちになっていました。
もう一つは、また、呼び出しがかかるのではないかと、心のどかで心配している自分に気づき、またブルーになるのでした。

正月休みは、寝正月でどこにも出かけづに過ごしました。
一番下の子が風邪をひきました。たいしたことは無さそうです。
表面上は、いつも通りふるまっていますが、何故かとっても心配している自分がいました。これも過剰反応なのでしょうか?

7日ごとに住職のお参りがあります。
仏教では、三途の川を渡った死者が極楽浄土の世界に行くまでに、7日ごとに審査を受けるそうです。
7日ごとのお参りは、無事に関門を通過できるようにお参りするのでしょうか?
49日が最後で7回目の審査で閻魔大王の前に出され、浄土へ行くか、地獄に落とされるか最終決定されます。無事に浄土への切符を手にした者は、この世の記憶が薄らぎ旅立ちます。
これは、昔、仏教に興味を持ってもらる為の方便、または、生きているうちに精進しなさいと諭す為に考えられた話の様です。
また、7日ごとに住職が家を訪れるのは、遺族が元気にしているか顔をみにくる為のようにも思います。昔は、それで安心を得ていたのでしょう。
7日ごとに区切りをつけて、段々気持ちの整理をしなさいと言うことでしょうか?
まだまだ、整理はつきませんが、前に進んでいこうと思います。

2013年1月5日土曜日

ぜんざい会食

2013年1月5日(土)14時〜道場に於いて、2013年能登七尾道院 新春法会を行いました。
初稽古の後、子供達が楽しみにしていた ぜんざい会食です。
各自、お餅を持ち寄ってもらいました。条件は、自分が食べられる個数です。
お餅をホットプレートで軽く焼いてぜんざいにしました。
昨年末のクレープ生地と同じで、自宅で小豆の準備をしてきたのですが、今回はこぼさずに済みました。さすがに今回車の中でひっくり返すわけにはいきません。
昨年は、たくあんを沢山準備して沢山余ったので、少なめに準備ししました。しかし、今年は、アッとゆう間に無くなってしまいました。難しいものですね。






2013年1月1日火曜日

再始動

今年のテーマを「再始動」としました。
新年、原点に立ち返って元気に頑張ろうと思います。