2007年9月15日土曜日

どちらが強い?

 先日、練習終了後に中学生から、こんな質問を受けました。
「少林拳と少林寺拳法は違いますよね」
「そうだね」と答えると
「じゃ、どちらが強いんですか?」
「きみは、どう思う?」と逆に質問しました。
「何かで、少林拳は最強だ!と言っていました。だから本当かな?と思って」
「○○が強い!、××が最強!、○○より××が強いんだって!」この手の話は、面白く聞いている分には問題ないと思います。それぞれもっともらしいことを言い合ってああでもない、こうでもない、と言っていれば害はありません。しかし、時々本当に口論になりがちです。「なに、そんなに言うなら本当にやるか!」「おう!」などと実戦にまで発展しかねません。最近は判りませんが、20数年前はそうでした。
 「どうちが強い?」の質問に答える為には、前提条件が2つあります。
 一つは、「だれとだれが?」と言う問題です。空手の達人と少林寺拳法習いたての白帯が対戦したら、当然、空手の達人が勝つでしょう。逆も同じで、空手が強いとか少林寺拳法が強いと言う問題でなくて、個人の力量の問題となってきます。
 二つ目は、ルールの問題です。相撲のルールで力士と柔道家が対戦したとすると大概勝つのは力士でしょう。 まわしだけで、 丸い土俵の中で足の裏以外が土に触れたら負けとなります。袖も襟も掴めない柔道家は柔道の良いところ一つも発揮できずに負けるでしょう。ルールがある場合は、ルールに特化した者が勝つのはあたりまえです。異種格闘技戦の場合もルールがあります。ルールが無かったら単なる喧嘩です。それこそ個人の力量次第の気がします。
 「野球とサッカーとどちらが強い?」に答えられる人はいないでしょう。ルールが違うのですから、「野球とサッカーとどちらが面白い?」は、個人の問題です。
 質問してきた中学生が本当に納得したかどうかは判りませんが、とりあえず頷いていました。さらに武道の本質の話をしました。
 武道には、本当の武道と偽の武道がある。本当の武道は、個人的には自己鍛錬の為に修行し、心身を錬磨する。そして、いざ運用するときは、争いを止め、社会に貢献する為に使用する。偽の武道は、自分の為だけに使用する。勝つ為だけに使用したり、お金を稼ぐ道具にしたり、名声や私利私欲を得る為だけに使用する。
 「どちらが強い?」の質問には、純粋な強さへの憧れがあるのでしょう。悪いことでは無いと思いますが、こんな事も知っていてもらいたいなと思いました。