2012年12月29日土曜日

四苦八苦

 しばらくは、こんな暗い感じのブログになりそうです。
 自分の頭と心情の整理のために、今回は、四苦八苦について書いてみようと思います。
「四苦八苦」も仏教用語の一つです。
「四苦八苦」の「四苦」は、生きていく上で避けることの出来ない苦しみとして「生」「老」「病」「死」の四つを上げています。「生老病死(しょうろうびょうし)」です。
 残りの4つの苦しみが、

「愛別離苦(あいべつりく)」愛する者と別れる苦しみ
「怨憎会苦(おんぞうえく)」憎む相手と出会う苦しみ
「求不得苦(ぐふとくく)」欲しいものが手に入らない苦しみ
「五陰盛苦(ごおんじょうく)」色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の5つ(人間の五感と思ってください)つまり物事に執着する苦しみ
を足して八つになります。
 今回、「四苦八苦」の中で「生」「愛別離苦」の二つが頭から離れなくなりました。
 (「死」は、「自分が死ぬのが嫌だ。怖い。」という意味なので、今、感じている自分の心情と少し違います。)
 「生」も苦しみと捉えるところが仏教らしいのですが、「生」の解釈は「生まれることの苦しみ」とか「生きていく苦しみ」と捉えるとネガティブな気がしますので、私は、「生きる意味を考えると際限が無い」と考えることにしています。「命」は、あることでラッキーで、与えられた「命」を大切にして頑張るのが「人」としての生き方、「人生」であろうと思います。「生」または「命」の長い、短いがあるのは仕方が無いことですが、その長さをどうこう言っても始まらないので、与えられた命を大切に生きていくしか無い様に思います。
 ひとみ も人生を真っ当できたのでしょうか? 道半ばだと思います。これからの人生であったと思うと切なくなるのです。
 今の自分の心情として「愛別離苦」の言葉は、ぴったり当てはまる様な、当てはまらない様な?
 別れがあるのも仕方が無いことなのですが、「順番が違うでしょ!」という事です。

3週間目

 朝から三、七日のお参りをしました。
 3週間経ちました。もう29日です。今年も残すところわずかとなりました。
 師走は、時間が経つのが早いと言われますが、12月に入ったと思ったら、もう来年です。
 3週間経っても、まだ受け入れがたい状態です。
 頭では十二分に理解しているつもりです。しかし、感情が付いてきていません。
 「喪失感」というより「困惑」でしょうか?
 仕事中や家族の前では、冷静にしていて、いつもと変わらない様にしています。
 別に、我慢しているわけではありません。
 しかし、車の中で一人になると、妙に叫びたくなります。
 「ひとみ! お父さんはどうしたらよい?」と
 涙を流して、悲しがればよいのか?寂しがればよいのか?悔しがればよいのか?
 何か違う様な気がします。
 やはり、心情とすれば「困惑」でしょうか?
 一つだけ、救いは、だれも恨まなくても良い事でしょうか?
 交通事故や事件などだと、加害者を一生許せない感情が出てくるでしょうが、そんな相手はいません。
 自分の心情で、もう一つ「困惑」しているのは、家族の誰かが出かけると、妙に不安に心配になってきます。わずかな不安感ですが、仕事をしていても、緊急の電話が鳴るのではないかと、頭のどこかで恐れているふしがあります。
 「こんな心配は無用である」と頭では理解しています。根拠の無い心配であることも判っています。
 しばらくは、こんな漠然とした不安が続くのでしょうか?

2012年12月25日火曜日

ケーキを4当分

12月入って直ぐに注文したクリスマスケーキを取りに行って来ました。
 毎年、ケーキを切るときに、家族5人で、ケーキを均等に五等分するのが難しかったのですが、今年は、四等分なので簡単に切ることができました。
 それをさらに半分に切って八等分にして、24日、25日と食べました。
 ケーキを買うのも止めようか?という意見もでましたが、元気を出すためにも美味しく頂くことにしました。
 何だか、こうゆう何気ない事が、妙に心に刺さります。

2012年12月23日日曜日

諸行無常、諸法無我

 仏教の世界観を表す言葉で、「諸行無常」があります。時は移り変わっていき、万物は変化、流転する。時間の流れは止まらずに常に変化している。変化するのが普通ならば、自分の意思で良い方向に変化させることもできるのではないか?それが、少林寺拳法の「自己確立」の考え方の基になっているのだと思います。
 また、「諸法無我」という言葉があります。この世は、自分一人で成り立っているわけでは無い。総ての物が何らかの関係を持って影響し合っている。自分は活かされている。少林寺拳法の「自他共楽」の考え方がこれにあたるのではないかと思います。
 この二つの捉え方で世界を見回すと、余計な執着が薄れ、「安心立命」、「涅槃寂静」できると言われています。
「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三つを三法印と言います。
 (「一切皆苦」または「一切行苦」を加えて四法印ということもある)

 自分の現在の心情を考えると、「諸行無常」は止まったまま、あまり動いている感じがしません。それでも現実の時間の流れに従って少しずつでも変化しているのでしょうか?
 「諸法無我」は、多くの方々のお参りで、こんなにも繋がりがあったのかと改めて思いました。自分一人では無く、様々の方々のおかげで自分があることが、実感としてわかりました。また、家族の大切さや親戚のありがたさもわかりました。
 「涅槃寂静」できているかは? 単に見て見ぬ振りをしているようにも思えます。
 「一切皆苦」、単純に苦痛、試練だとは思いたくありません。

 少し、小難しく考察してしまいました。

 ついでに、お経は、亡くなった人の為に念仏するわけではありません。生きている我々に向かって書かれた物です。でも、何が書いてあるか、聞いただけではわかりません。読んでもなかなか漢字の意味がわかりません。何故かと言うとサンスクリット語(インドの古語)を中国語に音訳と翻訳をしてあるからです。
 お経によって違いますが、言っていることは、だいたい、「お釈迦様は弟子の誰々にこんな風に教えを説いたよ」「仏様はこんな修行をしてきたから、こんなに素晴らしいんですよ。」「その仏様の世界はこんなにすごい所ですよ。」「この教えは、正当なものですよ」「代々、誰それが伝えた物だよ」などかな?
 これを伝え聞いて、皆さんそれぞれ修行しなさいよ。信じなさいよ。と書かれています。
 ちなみに「南無」は、「ああ〜帰依します」と言う意味になり、「南無阿弥陀仏(なむあびだぶつ)」は、「ああ〜阿弥陀仏(仏様の名前、あみだくじでおなじみの阿弥陀さま)を信心(信じます)します」と言う意味になり、「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」は、「ああ〜法華経(妙法蓮華経は正式名)にかいてあることを信心します」と言う意味になるのかな?

二週間たちました

 ひとみ が亡くなってから二週間たちました。
 仕事にも復帰し、少林寺拳法の修練も再開し、日常生活に戻りつつあります。
 不思議な感覚なのですが、ひとみ が居なくても、あまり寂しい感じがしません。
 どちらかと言うと 旅行に行っていて、まだ帰って来ていない という感じです。
 総て達観し、悟りを開いている心境でも無いのですが、自分の心情がよくわかりません。
 時々、ジワジワとした感情が沸き上がってきますが、激しく心情をかき乱すわけでもありません。その様な状況になるのを恐れて、無意識に避けているのでしょうか?

2012年12月22日土曜日

ひっくり返す

2012年12月22日(土)納会時、クレープを焼きました。
 クレープの生地を自宅で作ったのですが、道場に運ぶ際に車の中で1/3程度こぼしてしまいました。
 しまった!!
 何とか子供達の分は十分に焼くことができたの良かったのですが、車の中は、甘いにおいで満ちてしまいました。

クレープ焼いてみました

2012年12月22日(土)今年最後の修練後、道場にて納会としてクレープを焼いてみました。直ぐに焼けて子供達には大好評でした。
 次回もやってみようと思います。そこでレシピを書いておこうと思います。

材料(40〜50枚分)
 薄力粉 400g
 卵   10個
 牛乳  1L(1000ml)
 砂糖  100g
 塩   少々
 バター 20g(サラダ油、マーガリンでも可)
1 ボールに卵10個を割り入れ、かき混ぜる

2 薄力粉400gを計量し、ふるいにかけながら、少量ずつ、といた卵に入れる

3 かき混ぜると、こんな感じになる
4 砂糖100gと塩少々、電子レンジで少し溶かしたバター20gを入れる
5 牛乳1Lを入れてかき混ぜる
ゆるくなるので、不安に感じたが、これでOK
冷蔵庫などで、1〜2時間生地を寝かせてなじませる

6 この間に、氷で冷やしながら、生クリームを作る
ハンドミキサーの方が楽で良い
手かき混ぜるときは、空気を入れる様にひたすらかき混ぜる
角が立つくらいの硬さまで
7 ホットプレートを十分温めてから、ひたすら焼く
やや高めの温度設定で焼くと、早く焼けるが、直ぐに焦げるので注意が必要
温度が低いとなかなか焼けない
ひっくり返して両面焼く(片面だけでも良いような気がする)
しっとりした感じに焼ければ成功かな?
8 思い思いにトッピング
 桃、白桃、みかん、パイナップル、りんご、バナナを用意


2012年12月17日月曜日

葬儀、その後

 ひとみ の通夜、葬儀に参列して頂いた皆さん、弔電や励ましのお言葉を頂いた皆さん、ありがとうございました。同級生や先輩、後輩の皆さんにも沢山、お見送りをして頂きました。
 12月14日(金)ほぼ午前中は爆睡状態でした。午後から学校と職場に挨拶に回りました。
 12月15日(土)初七日は住職のお参りと今後、四十九日までの法要の日程を話し合いました。夕方、学校にもう一度行き、教室や部室などを見せてもらい、教科書などをもらってきました。
 昨日は、葬儀社の支払いを済ませました。
 今日は、もう一日だけ仕事を休んで、郵便局の学資保険や銀行の通帳の解約など手続きをしてきました。半日仕事でしたが、銀行はわりと早くに終わりましたが、ゆうちょは、後日、改めて書類を揃えて出かける必要があるようです。
 ひとみ の携帯は、どうしよう?
 職場関係の手続きも、明日以降の仕事になります。

早速、墓石のダイレクトメールがきたのには驚きました。
時々、ひとみ宛の塾などのダイレクトメールが届き、うるっ ときます。
机の上のノートや教科書を見て、うるっ となります。

 淡々とやるべき事をこなしている時は、わりと平気でいられるのですが、
フッとした瞬間に、何故こんな事をしているのだろうと思うことがあります。
また、最近の写真などは見直すことができるのですが、
小さい時の写真ほど見ると辛くなってきます。

花の祭壇

葬儀社と打ち合わせをしていて、葬儀社から提案がありました。通常の祭壇では無くて、花の祭壇にできますと。
 通常より値段は高くなってしまいますが、親の我がままを通させてもらいました。
 家族と話した結果、「吹奏楽部で音楽が好きだったのだから、祭壇に音符を飛ばしてみよう」「五線譜を花で表現できるか?」という事になりました。これら原案を基にして絵を描いてみました。
 葬儀社と花屋さんとの二度目の打ち合わせで、絵を見せながら、イメージを伝えました。その結果が、写真の様になりました。
 お参り頂いた方々には、好評でした。「ひとみ らしく可愛くなったね」「まるで芸能人みたい」「森光子さんより良いんじゃない?」など
 正面アップ(五線譜もります)
 向かって左
ユーホニューム(楽器)も飛ばせました
向かって右
会場全景
 花屋さんは、音符らしく見える様に色と形に苦労したそうです

 葬儀終了後、飛んだ花の♪は、高校の吹奏楽部の部室に飾ってもらいました。

2012年12月9日の午後

 記憶が薄れる前に色々書いていきたいと思います。
 2012年12月9日(日)は、休日出勤で職場にいました。
 午後2時少し前ぐらいだったと思います。連絡が入りました。
「娘さんが大変です。至急、救急外来に来てください」と
 この時は、交通事故にでもあったか?と思い、慌てて駆けつけました。
 救急外来の奥の処置室に通されました。
 治療ベッドの上で、医師と看護師さんが交代で心臓マッサージを行っていました。
 妻は、一足早く到着し、椅子に座ってうなだれていました。
 ひとみ の顔を見ると、意識無く、顔色も悪い状態でした。
 もう一人の別の医師が、これまでの経過を興奮気味に説明し始めました。
 この状況で、頭のどこかでスイッチが入りました。「これは、心臓が動き始めても、脳死状態になるであろう。慌てても、騒いでも、この状況は変わらない。」と気持ちが冷めてきました。変に冷静になったのです。多分、この時から感情が閉め出されたのだと思います。時間が止まり、淡々と状況をこなすだけになりました。
 医師からCTを見せられながら、「挿管されて気道は確保されていますが、両側とも肺がつぶれています。強心剤も3回使用していますが、1時間半以上この状態が続いています。」「心臓は動きだしません。どうされますか?」
 つまり、医師から、助からないけどこのまま救命処置を続けますか?と問われました。
 私が到着してから20分ぐらいたった時のことです。
 妻は泣き出しました。
 私は、「ありがとうございました」「充分、処置をして頂きました。」と答えました。
 はたから見たら妙に冷静に答えていたかもしれません。
 しかし、目の前は薄く白い幕がかかり初め、立っているのがやっとの状態でした。多分頭から血の気が引いていったのでしょう。フワフワした状態でした。涙は出ません。
「私が取り乱すと妻がパニックになる」と自制が働いていたのかもしれません。
 医師からは、もう一度、頭と腹のCTを残しておきたい。また、学校での急変なので警察に連絡し、検死を受けた方が良いことを説明されました。それに同意して、しばっらく待たされました。
 学校から付き添ってきた教師の方と話しをして、さらに後から駆けつけてきた校長、教頭、部活の顧問の先生とも話しをしました。
 親戚などに電話をして、家の片付けと残された妹弟の事を頼みました。電話の先では、動揺し慌てた声が聞こえました。多分、私が一番落ち着いていて、電話をするとどの様な反応になるかを予測しながら言葉を選んで話していたと思います。
 しばらくして、医師から詳しい説明を受けました。
 CT画像を見ながら穴が開いた箇所を示しながら「両側の気胸です。」「気胸じたいは、特別な病気ではありません。」「普通は、方側肺だけで起きることが多いのですが、お嬢さんは、両側に穴が開きました。非常にまれな例だと思います。」「気胸と言う病気は、肋骨との肺の隙間に自分で吸った空気が漏れて、肺を圧迫してつぶれてしまいます。それで、呼吸できなくなってしまいました。」「おそらく、学校で倒れた時点でそうなっていたと思われます。」「救急車で運ばれてきた時は心肺停止状態でした。」「気胸が、何時おこるかを予測することは不可能です。」
 この後、警察の方が到着し、事情聴取を受けました。学校の先生方も同じです。医師からも事情聴取していました。その後、検死が始められました。かなり時間が掛かることを聞いていたので、中途半端に残してきた仕事を出来る限り終わらせるために連絡先を言って、妻を連れて職場に戻りました。
 自宅にもう一度連絡をいれて、もう少し時間が掛かること、葬儀社への連絡、段取りなどの調整を頼みました。
 午後7時すぎ、検死が終了しました。
 ここから体を拭いて、着替えをさせてるなど準備を行いました。
 この時点で、死後硬直が始まっていましたが、まだ何となく肌は温かい感じがしました。眠っているだけの様で全く実感が湧きません。
「本当に死んだの?」と妻と話しながら葬儀社を待ちました。
 午後8時頃、医師、看護師に見送られて病院を後にしました。

2012年12月16日日曜日

ひとみ葬儀

2012年12月9日(日)午後14時30分 私の長女 ひとみ(17才)が亡くなりました。
記憶がしっかりしている間に記録を書いておこうと思います。
2012年12月12日(水)午後7時よりお通夜(410人以上参列)
2012年12月13日(木)正午より葬儀が執り行われました。(160人以上参列)
 葬儀に際しては、高校の同級生、吹奏楽部の部員の皆さんが最後のお別れにお参りして頂きました。吹奏楽部の皆さんには、葬儀が始まる前に演奏をしてもらい、生徒の皆さんで出棺時に合唱をして火葬場まで送ってもらいました。

通夜での喪主挨拶(私の挨拶)

 本日は、足元の悪い中、これほど沢山の人が、私の娘、 ひとみ のお通夜にご参集頂きまして、誠にありがとうございます。ひとみ に代わりまして御礼を述べさせて頂きます。
 ひとみ は、12月9日亡くなりました。当日は、朝から吹奏楽部の練習で学校に行きました。お昼前に練習が終わり、帰るために学校内で電車を待っている時に倒れ、能登病院に救急搬送されました。懸命な救急処置をして頂きましたが、残念ながら再び息を吹き返すことはありませんでした。学校での生徒の皆さんや先生方の手助け、ありがとうございました。また、能登病院の先生方のや看護師の皆さんの懸命な処置に感謝を申し上げます。
  今日は、吹奏楽部の皆さんに無理を言って、亡くなる直前まで練習していたユーホニュームという楽器を持ってきて頂きました。今晩、練習の成果を聞かせてくれる事でしょう。
  実は、残された遺族は、頭では、ひとみ が、亡くなった事は理解しているのですが、心情的には全く受け入れていません。諸行無常と言いますが、ここ数日は、時間が止まってしまっています。皆さんが悲しんでいる姿を見て、「悲しんだろうな~」などと他人事のように考えています。このよくわからない、遺族の心情をお察し下さい。
  本日は、誠にありがとうございました。
  なを、明日、正午から、この会場に於いて、ひとみ の葬儀を執り行う予定です。時間が許す方は、ご参列下さい。よろしくお願いします。

葬儀での喪主挨拶(私の挨拶)

 本日は、娘の ひとみ の葬儀に御会葬頂きまして、ありがとうございました。
 今日は、クラスの皆さんや吹奏楽部の部員の皆さんに送って頂いて、ひとみ も喜んでいることでしょう。ひとみ に代わりましてお礼を述べさせて頂きます。
 今日は、ひとみ のクラスや吹奏楽部の方々が多数、来て頂いていますが、皆さんに二つのお願いがあります。
 一つは、「命」を大切にして下さい。ひとみ は、生きたくてもここまでの命でした。生きていれば、多少辛いこともあるでしょうが、楽しいことも沢山、体験できたことでしょう。
 皆さんは、これからの人生、ひとみ の代わりに「命」を大切に生きてください。
 二つ目は、時々 ひとみ の事を思い出してやって下さい。学校の行事、卒業式や成人式、同窓会など、皆さんが集まるような時、たまに、ひとみ の話でもしてやって下さい。それが、一番の供養になると思います。宜しくお願いします。
 本日は、誠にありがとうございました。

 こんな経験は、二度としたくありません。
 ただ、あり得ないことは、あり得ないんだと言うことがよくわかりました。
 七転八起
 ただ、しばらくは、起き上がれないかもしれません。

2012年12月1日土曜日

黒帯になっての初仕事

2012年12月1日(土)ワークパル七尾に於いて、12月度 能登小教区昇級考試が行われました。
 七尾からも5人が、それぞれ昇級試験に挑みました。
 少年部2級を受験する子がいたのですが、受験者は1人で、相手を用意する必要がありました。
 そこで、11月に少年部初段に合格したばかりの子に黒帯として初仕事が回ってきました。
 練習時から相手を頼んでいました。「2級合格出来るかどうかは、黒帯の君に掛かっているからね」「ギリギリかもしれないので、相手をする君が何とか合格する様に引き上げて欲しい」と頼んでいました。 はりきって、相手をしてくれました。
 結果は、合格を頂けました。合格した2級の子はもちろん、ホッとして喜んでいましたが、黒帯の子が一番ホッとしていました。責任を果たすことができたのです。