2016年5月16日月曜日

法話演習1

 2016年5月14日〜15日と第一次全国道院長研修会に参加してきました。
 今回の研修会では、法話についての研修もありました。4名程度の班に分かれて、テーマが出題され、法話をその場で考えて発表するという演習がありました。条件は、少年部に話すように行うこと。
 二つテーマが出題されたのですが、時間の関係で発表は一人だけとなりました。私は発表せずに終わってしまったのですが、せっかくなので、自分ならこの様に話そうと考えたことを書いてみようと思います。

テーマ1  何故?食事の前に「いただきます」と言うのか?
 最近、学校給食前に「いただきます と言わせるな」と親からクレームがあったと、ニュースになっていたそうです。

 さて、皆さん、今日は何を食べましたか?(何人かに質問してみる)
 まだ、食べていない人もいるかもしれませんが、昨日は食べたでしょ?
 美味しかったですか?
 その食べたものの材料は何ですか?(何人かに聞いみる)
 肉は、なんの肉? 牛さん?豚さん?鳥さん?
 魚も生き物ですよね。
 野菜は植物だね?植物も生きているよね?
 つまり、人は、他の生き物を食べて生きています。
 ダイエットするから食べないよ と言う人がいるかもしれませんが、量は減らしても、何かは食べていますよね。人は、何も食べないと死んでしまいまうからです。
 生き物は、他の生き物の「命」をもらって、生きています。
 これは、変えられない、当たり前の事です。
 だから、食事の前には、生き物に感謝して「いただきます」と言います。
 「いただきます」という、もう一つの理由があります。
 食事を作ってくれたのは、誰ですか? お母さん?
 ドラえもんの便利道具なら自動的に食事が出てくるかもしれませんが、必ず誰かが食事を作ってくれるから、目の前に美味しい料理が出てきます。
 さらに、お米を作ってくれる農家の方がいます。牛を育てる酪農家の方がいます。魚を捕ってきてくれる漁師さん。さらに、それを運ぶトラックの運転手さん。市場の方、それを売るスーパーの店員さん(八百屋さん、魚屋さんと言うより理解してくれるかな?)などなど、自分の口に入るまでに、多くの人が働いています。それらに感謝して、「いただきます」と言います。
 中には、「お金を払っているのだから、いただきます と言う必要は無い」と言う人もいるそうです。しかし、自分がしてもらったことに感謝の意を表すことは、人として当たり前の事ではないかと思います。
 感謝の気持ちを表現できない人は、多分、他人からは評価や感謝は、されないのではないかと思います。
 私は、素直に感謝の気持ちを表現したいと思いますが、皆さんは、どう思いますか?


テーマ2 友達から嫌がらせを受けた(いたずらされた、殴られた、などなど)、同じ方法で仕返しをしたら、先生にみつかって自分だけ叱られてしまった。何故、自分だけ叱られなければいけないのか?悔しい。と相談を受けたのに対してどの様に答えるか?

 それは、悔しかったね。(先ず、同意して受け入れてあげることが必要)
 今回は、叱られてしまったけど、他の方法は無かったのかな?
 どうすれば良かった?
 一つは、今回のように仕返しをする方法
 二つ目は、我慢して何もしない方法
 三つ目は、他の方法を考える
 例えば、先生や友達、大人に相談するなどはどうだろうか?

 我慢する方法は、一回で済めば良いけど、段々ひどくなっていくかもしれない。どこかで我慢できなくなるかもしれないね。
 仕返しする方法は、相手と同じ土俵に乗ってしまうことになる。相手の行いを批判するのであれば、自分が同じ事をしたならば、その批判は、そのまま自分に返ってくる。先生に叱られたのは、この為だと思わない?
 見つからないように、仕返したとしても、自分が良いことだと思っていないことであれば、あんまりスッキリしないと思うんだけど、どうかな?
 やっぱり、もっと頭の良い方法を選んだ方が、良いように思うんだけど。どうかな?
 但し、よくよく、考えて行動しないと、余計な恨みを買うかもしれないね。やはり色々な人に相談するのがよさそうだね。
 でも、どうしても我慢できなくて、自分は正しいと判断したのら、少林寺拳法を使っても良いよ。自分の身を守るために少林寺拳法を習っているのだから、当たり前だ。そのかわり、先生も一緒に相手側に謝りに行くよ。
 それが、先生の役割だからね。

実は、この二つのテーマともに、以前に法話で話しをしたことがあります。
このまま話した訳ではありませんが、似たような内容で話しをしました。