2010年3月6日土曜日

何故、勉強するのか?

 3月6日、能登小教区の昇級考試がありました。
昇級考試時、毎回、道院長は持ち回りで法話をすることになっています。今回、七尾からは誰も受験しませんでしが、私は、法話の担当がありました。
法話の内容を、書いていきたいと思います。

何故、勉強しなければならないのでしょうか? 小学校で何のために勉強していますか?
それは、何千年も前から人間が発明したり発見したりしてきたことを理解するためです。
大昔から、人間は発見したことや気づいたことを文字として残してきました。何が書いてあるか理解するためには、文字が読めなければならないでしょう?それが、何について書いてあるか知りたいと思いませんか?
小学校や中学校、高校ぐらいまでは、その基本を学んでいるのです。大学などでは、それを基礎として最先端のことを研究しています。
皆さんも小学校で基礎を学んで、大きくなったら、新しいことを書き加えて言って下さい。そして、我々のご先祖様がしてきたように、次に世代に残していって下さい。
さて、ここからは、大人の方々の話しになりますが、大人になっても勉強は続けなければなりません。それは、「ちえ」を身につけるためです。「ちえ」には、2つ種類があります。暮らしていく上で知っておいた方が便利な「知恵」と 知性、深い知識、言い換えると仏性の「智慧」です。
生涯勉強するのは、この仏性の「智慧」を身につける為に行っているのだと考えています。
「智慧」を身につける為には、3つの方法があります。一つは、過去の書物などを勉強する方法。二つ目は、心を落ち着け、自己を反省し、自己を深く探求する方法。三つ目は、体を動かし行動すること、実践から学ぶ方法だそうです。
幸いにも、少林寺拳法は、この3つとも含まれています。学科があります。鎮魂行があります。技術があります。
「智慧」を身につけられるかどうかは、皆さんしだいなのかもしれません。
ちょうど時間となったようです。言葉足らずの所もあったかもしれませんが、これで法話を終わります。