2022年3月26日土曜日

機材のチェック

 

2022年4月10日(日)に行われる本山公認オンライン教区講習会に向けて道院で機材のチェックをしてみました。
パソコン、プロジェクターをセッティングし、白い壁に画像を投影してみました。

大きさはこんな物でしょうか?

携帯電話のテザリング機能を使用してインターネットに繋げてみました。

これで、研修会の準備は完璧?

2022年3月21日月曜日

美味しい 蕎麦

 

お昼に、美味しい蕎麦を食べてきました。

能登里山海道 今浜ICを下りて直ぐ
宝達志水町にある「蕎麦処 上杉」というお店です。

御前そば 天せいろ

水羊羹
美味しく頂きました。

2022年3月20日日曜日

日々勉強ですね!

少林寺拳法UNITY  2022年度 考試員・審判員講習会に参加

2022年3月20日(日)石川県白山青少年交流センターに於いて、 2022年度 考試員・審判員講習会が行われ、朝から参加してきました。

日々勉強が必要だと、改めて思いました。

人を評価したり、判定するには、考試員・審判員もそれを見分ける視点や知識が必要です。

意識して身につけていかなければと、思いました。

1日の講習会で、総て身につく訳では無いので、日々の修練時が大切になるのだと思います。

2022年3月19日土曜日

高校卒業 おめでとう!

高校卒業、おめでとうございます。
高校の間は、たまに顔を見せてくれる程度でしたが、久しぶりに修練にやってきてくれました。
 
4月から社会人ですね。頑張って下さい。
最初の3年間は、勉強の3年間です。言われた事は、総てやってみるくらいのつもりで取り組んで下さい。
道場での心得「脚下照顧」「あいさつ」「作務」「服装」「態度」「言葉づかい」は、社会人としては何処でも共通の事だと思います。
修行の心得「目的の確立」「順序」「基本から学ぶ」「理を知る(原理)」「数をかける(反復)」「片寄らせない(不偏)」「体力に応じて(養行・楽しみながら)」「永続して(継続)」も会社で必要な技術習得の為には普遍的な事だと思います。
少林寺拳法で学んだ事を活かして、会社から、または社会から必要とされる人になって下さい。
それにしても、身長伸びたね!

2022年3月18日金曜日

iPhone SE3を発売日に手に入れました

iPhone SE3を発売日に手に入れました。
ブラックです。
今まで使っていたのもiPhoneですが、6Sで、6年半使用しました。

まだまだ最新OSで利用できるのですが、さすがにバッテリーは厳しくなってきていました。

データ移行を頑張ってしていこうと思います。
 

2022年3月12日土曜日

2022-3-12 法話 「何のために少林寺拳法を修行するのか」

 2022-3-12 法話 「何のために少林寺拳法を修行するのか」

対象:小学生、一般

「何のために少林寺拳法を修行するのか」と読本にあります。(少年読本 P26)

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修行の目的は、「自己確立」・「自他共楽」

<前略>

少林寺拳法を通して、自信と勇気と行動力を身につけ、慈悲心(思いやり)と正義感を持った本当に強い人間になる。頼れる自分になることを「自己確立」と言います。

そして、その強さで困っている他の人や苦しんでいる人を助けてあげられ、相手が喜ぶことを、自分の喜びに変えることができることを「自他共楽」と言います。

開祖はわかりやすく「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という言葉で説明しています。

<中略>

少林寺拳法は強い人が弱い人を助けながら、お互いが幸せに暮らせる社会をつくることを目指しているのです。

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簡単に言うと、自分の事は自分で出来るようにしていく事を「自己確立」と言います。

いつまでも、「お母さん、あれして、これして」と頼ってばかりでなくて、自分でできそうなことは自分の力でやってみる。「できないから、やらない」ではなくて、ちょっと失敗しても良いから、勇気を出してやってみることが大切になります。また、やらなければならないことは、しっかりと取り組む事も必要になります。

そして、「自他共楽」は、例えば、妹が困っていたら、少し助けてあげる。「お兄ちゃん、ありがとう」と言われたら嬉しいでしょう?自分ができる範囲でしてあげられればそれで良いのです。

ここで少し補足ですが、自分はまだまだ「自己確立」なんてできていないから、他人(ひと)の為に何かするなんてとてもできない。または、損得抜きで他人(ひと)の為に何かするなんて、偽善だ。人間なんて、自分の益の為にしか行動しないのではないか?と考えるかもしれません。

その通りかもしれません。そもそも、自分に余裕が無いときは、他人(ひと)の事を気にしている余裕はありません。しかし、自分の事ができるようになって、少し余裕がでてきたら、自分の事ばかりでなく、少し他人(ひと)の為に何かしてあげられたら良いな〜と言うくらいです。初めから完璧に他人(ひと)の為に100%行動できるはずはないと思います。自己中心的な考えだけでなく、他人(ひと)の事も少し考えて行動できる人間を目指していこうという事です。

開祖の「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」と言う言葉は、この様な意味もあるのではないでしょうか?

初めから、完璧にできなくても良いのではないでしょうか?高い理想・目標に向かって、前々修学、一歩一歩、進んでいく事が大切なのではないでしょうか?

鎮魂行などで、「今日の自分は、ここができていなかったな〜」と反省すれば良いのです。

そして少し修正して、少し前進。これが修行なのではないでしょうか?

私も、偉そうに話しをしていますが、初めからこんな事を考えていたわけではありません。何年も修行してきて少しずつ考えるように成ってきただけです。

ごめんなさい。後半、少し難しい話しになってしまいました。


2022年3月5日土曜日

指導者の喜び

指導者の喜び

  3月の第1週目、高校の卒業式があったようです。

 保育園年長さんの秋から道院に来ていた子が、高校を卒業しました。

 高校では、サッカー部だったので、道院には、たまに顔を見せてくれる程度でしたが、4月からは社会人です。

もう12年前なのですね。

 少し嬉しかったのが、入社試験の面接で、「挨拶をしっかりすること」「やらなければならい事は、しっかりすること」など私が道場で話していた事をアレンジして答えていたようです。

 それで、就職試験に合格できたのかどうかは、分かりませんが、小さい時に聞いた事が大きくなってからも残っていたのなら、指導者冥利に尽きます。

 少し遠方に就職ですが、これからも少林寺拳法を継続してくれたなら、もっと嬉しいのですが・・・。