2012年12月23日日曜日

諸行無常、諸法無我

 仏教の世界観を表す言葉で、「諸行無常」があります。時は移り変わっていき、万物は変化、流転する。時間の流れは止まらずに常に変化している。変化するのが普通ならば、自分の意思で良い方向に変化させることもできるのではないか?それが、少林寺拳法の「自己確立」の考え方の基になっているのだと思います。
 また、「諸法無我」という言葉があります。この世は、自分一人で成り立っているわけでは無い。総ての物が何らかの関係を持って影響し合っている。自分は活かされている。少林寺拳法の「自他共楽」の考え方がこれにあたるのではないかと思います。
 この二つの捉え方で世界を見回すと、余計な執着が薄れ、「安心立命」、「涅槃寂静」できると言われています。
「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三つを三法印と言います。
 (「一切皆苦」または「一切行苦」を加えて四法印ということもある)

 自分の現在の心情を考えると、「諸行無常」は止まったまま、あまり動いている感じがしません。それでも現実の時間の流れに従って少しずつでも変化しているのでしょうか?
 「諸法無我」は、多くの方々のお参りで、こんなにも繋がりがあったのかと改めて思いました。自分一人では無く、様々の方々のおかげで自分があることが、実感としてわかりました。また、家族の大切さや親戚のありがたさもわかりました。
 「涅槃寂静」できているかは? 単に見て見ぬ振りをしているようにも思えます。
 「一切皆苦」、単純に苦痛、試練だとは思いたくありません。

 少し、小難しく考察してしまいました。

 ついでに、お経は、亡くなった人の為に念仏するわけではありません。生きている我々に向かって書かれた物です。でも、何が書いてあるか、聞いただけではわかりません。読んでもなかなか漢字の意味がわかりません。何故かと言うとサンスクリット語(インドの古語)を中国語に音訳と翻訳をしてあるからです。
 お経によって違いますが、言っていることは、だいたい、「お釈迦様は弟子の誰々にこんな風に教えを説いたよ」「仏様はこんな修行をしてきたから、こんなに素晴らしいんですよ。」「その仏様の世界はこんなにすごい所ですよ。」「この教えは、正当なものですよ」「代々、誰それが伝えた物だよ」などかな?
 これを伝え聞いて、皆さんそれぞれ修行しなさいよ。信じなさいよ。と書かれています。
 ちなみに「南無」は、「ああ〜帰依します」と言う意味になり、「南無阿弥陀仏(なむあびだぶつ)」は、「ああ〜阿弥陀仏(仏様の名前、あみだくじでおなじみの阿弥陀さま)を信心(信じます)します」と言う意味になり、「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」は、「ああ〜法華経(妙法蓮華経は正式名)にかいてあることを信心します」と言う意味になるのかな?

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