
写真は、日本武道館で行われた全国大会の時に、初生の赤子として初心に帰る為、全国の道院長と供に白帯を締めて参加してきた時のものです。
60周年のテーマは「ありがとうこの命 ありがとうあなたとの出会い」でした。
これは、良く考えられたテーマだと思います。
最近の軽くあつかわれている「命」について60周年を機に、もう一度考えてみよう。道院で話し合ってもらいたい。親子で話し合ってもらいたい。と言うことです。
報道によるとここ何年かは、交通事故による死亡者数より自殺者の人数が上回っているそうです。また、「我が子に手をかけた。」「親を殺害した。」などのニュースが後を絶ちません。
子供達に行事の時や、通常の練習時などに何度か「命」について話したことはありますが、理解してくれているでしょうか?
繰り返し、繰り返し、機会を捉えて話し続けなければならないと考えています。
以下の様な話を今までにしてきました。
スケールの大きな話では「ありがとうこの命」とは、約40億年の昔から受け継がれてきた「命」の連続性を考えることになると思います。身近な所から考えても、自分のご先祖様を考えると、両親(2人)、祖父母(4人)、8人、16人、32人・・・。5代さかのぼっても62人もいます。6代前では64人で合計126人、7代前は128人で合計254人と沢山のご先祖様がいます。その誰かが欠けていても自分は存在しないことの不思議?
人間は優れた文明を持っています。ロボットを作り出すことが出来るようになってきました。遺伝子操作など生命を作り替える技術も発達してきています。しかし、まだ無から「命」を生み出すことはできません。「命」を壊すことは簡単でも、作り出すことはとても難しい事なのです。
また、私たちの体は、常に新しい細胞が生まれて壊れてを繰り返して成り立っています。一時も止まった状態はありえません。生きている限り、体のどこかが置き換わっています。常に置き換わっているのに一つの体がバラバラにならないで自分を保っているのは不思議なことだと思いませんか?
これが仏教で言う「諸行無常」だと私は考えます。
次ぎに「ありがとうあなたとの出会い」は、「諸法無我」の事だと私は考えています。
「諸行無常」が過去から未来に向けての縦の繋がりだと考えると、「諸法無我」は現在の空間での横の繋がりだと考えられます。自分一人では生きていけないのですから、誰かと何かしらの関係性の中で自分は存在しているのだと思います。
哲学的な事は抜きにしても、誰かとの出会いで今の自分があると思われることは誰にでもあるのではないでしょうか?
あなたとの出会いに感謝できると言うことは幸せな事だと思いませんか?
極端な事を言えば、少林寺拳法の技は多少、横に置いて置いても、こんな事を私は伝えたくて少林寺拳法を行っているのかも知れません。
最後に、今年は能登地震に邪魔されて道場建設の夢が足踏み状態でした。
「今は時期ではない。もう少し待て」と言われているのだと思います。
是非来年は、実現していきたいと思います。