2007年7月16日月曜日

運用法について考える

 昨日の2007年度少林寺拳法石川県大会で安田審判長が最後の講評で述べていた護身術としての少林寺拳法の技術の位置づけについて自分なりの考えをまとめてみたいと思います。
「演武は踊りでは無いので、形だけに囚われず、使える技術も身につけて欲しい。」と言う話は同感です。演武を綺麗に迫力をもって行うことは良いことだと思います。それで大会で良い成績を目指す事も意義が有ることだと思います。これは安田審判長も否定する物では無いと思います。
 少林寺拳法の技術を身につける最終的な目標は、自分の体の使い方を身につける事なのかもしれないと考えています。
 これは、組演武であろうと運用法(乱取り)であろうと同じだと考えます。そして、体の使い方であるから、少林寺拳法の技術だけに限らない体の使い方です。
 介護技術の中にも応用可能ですし(仕事柄考えること多いです)、立ったり座ったりの何気ない動作の時も同じです。
 立ち振る舞いが美しく、無駄のない動きが出来たら理想と考えます。そして、平常心まで身につける所まで行ければ最高でしょう。
 下に載せたのは、昨年、北陸学生連盟主催の運用法の講習会を頼まれたときにまとめた資料の一部です。