2013年3月3日日曜日

体罰を考える 2


 2013年3月2日(土)3月度能登小教区昇級考試が行われました。
 法話は、能登押水道院の畑山道院長でした。

 体罰って言葉を聞いたことがありますか?最近、テレビのニュースで良く聴きますよね。話題になっていたのは、高校のクラブで顧問の先生が体罰を日常的に行っていて、キャプテンが自殺してしまった事件です。また、柔道のオリンピック女子選手の話題もありました。世の中は体罰は、いけないと言う意見ばかりになりました。
 ここで、世間とは少し違った見方をしてみました。
 体罰は駄目だ!となると学校の先生などは、絶対に体罰を使えません。狡をしたり、悪い事をしても注意をされるだけです。チョットしたことで注意を受けた人でも、とっても悪い事をしても同じ注意だけです。逆に不公平ではないでしょうか?
 悪い事をしたら叱られるのは、当たり前ですよね。ゴチンと頭をこづかれる事は、先生もよくありました。それが全く認められない世の中は、少し心配になります。
 小学生の皆さんは、どう思いますか?一度、お父さん、お母さんと話し合ってみてください。

 多少、内容が違うかもしれませんが、記憶している範囲で要旨を書いてみました。

 ここで、私は、さらに少し違う観点で書いてみたいと思います。
 先ず、第一に話しの中にあった、高校クラブの顧問や、柔道の監督は、教えるプロであると言う点を強調したいです。
 教えるプロが、体罰しか人を指導する手段を持っていなかったとしたら、職務怠慢もいいところではないでしょうか?
 体罰が良いか?悪いか?の議論の前に、この点が一番の問題だと思います。指導力を磨くことを怠ってきた者が、一番安易な方法として体罰を使っていたのだと思います。
 体罰を使用する場合は、細心の注意を払って、本当にこの指導法が相手の心に届く、最善の方法であるのか熟慮が必要であると思います。
 体罰を選択するときは、こちらの心も痛いはずです。そもそも叱ることは、とてもエネルギーが必要です。
 そして、前回書いた、注意と体罰と暴力の違いは?と言うことに繋がっていきます。