
坂下先生は、本部職員でもあり、昨年まで機関誌に「きゃかしょうこう」と言うコーナーも担当していました。
講義の中で、「少林寺拳法は、いちご大福の様なものである」と言っていました。いちご大福は、「いちご」だけでも十分美味しし、「大福」だけででも美味しい。「いちご」と「大福」はそれぞれ別々でも成立している食べ物であるけど、その「いちご」と「大福」が出会ったときに、「いちご大福」としての美味しさのハーモニーが新しく創造された。
少林寺拳法も「宗教」としての側面と「武道」としての側面があるが、開祖がそれを結びつけ、「宗門の行」として新しく価値を見いだし、創造された。
「いちご大福」をさらに美味しくする為には、「いちご」だけを美味しくしても、「大福」だけを美味しくしても「いちご大福」は美味しくならないかもしれない。「いちご大福」としてのバランスをとりながら工夫が必要になる。「いちご」に合う「あんこ」の工夫、それを包み込む皮の工夫、などなど。
少林寺拳法も「宗教」としての側面だけ。「武道」としての側面だけ。と片方だけが突出すると少林寺拳法の楽しさや価値が失われてしまうのかもしれないと感じた。
激変する社会の中で少林寺拳法としての美味しさを維持し、発展さて行く為には、まだまだ工夫が必要なのかもしれい。