少林寺拳法武道専門コース 北陸地区 10月度で本部より派遣された大阪北清水道院 高辻吉治講師が配付した資料のタイトルが「子どもの脳が危ない!」でした。出典は、別冊PHP 2007年11月増刊号 P6〜8です。通常のB6版のサイズでなくB5版サイズの少し大きい雑誌です。
記事を書いたのは、岡田尊司(精神科医)で医療少年院や病院の思春期外来での臨床経験と最近の脳科学の見知からの話です。
内容の核心は、テレビゲーム依存の脳内でのメカニズムは、麻薬依存のメカニズムに極めて近いと言うものです。これは、ネット依存や携帯電話のメール依存にも共通するそうです。そして、大脳の機能低下が起こりうる。判断力や忍耐力、人への共感性低下、そして社会性の欠如へと至る。
ショッキングで刺激的な内容ですが、少し冷静に考えるとゲームをしたから全ての子供がそうなるとは限りません。しかし、100人いたら何人かは影響を受けやすい子供がいることも事実だと思います。
我々は、慌てる必要は無いと思いますが、子供がゲーム依存に陥る可能性があるかもしれない事を知っておく必要があります。
養老孟司さんの書籍の中で読んだことがあるのですが、現代の親は自分の子供だったときの経験をそのまま子供に当てはめることが出来なくなっているそうです。
私が子供だったとき、インターネットも携帯電話もありませんでした。テレビゲームのファミコンが発売されたのは中学生ぐらいだったと記憶しています。ネットや携帯電話、テレビゲームの影響が子供にどの程度あるかなど経験からはわかりません。
また、私たちの親の世代(現在60才〜70才ぐらいでしょうか?)が子供だった頃、テレビはありませんでした。だから、私が小さかったときは、テレビの子供に与える影響についてさぞかし心配していたことでしょう。
そのまた親は、戦後教育の激変に将来子供達がどうなるのか心配したことでしょう。
社会環境は変えることは難しいでしょうが、 大切なことは、 子供を放置せず、干渉しすぎず、手をかけていくことでしょうか?
今後も新しい知見が様々出てくると思いますが、その情報を参考にしながら、悩みながら子育てしていくしかないように思います。
2007年10月1日月曜日
ネクタイはどこ?
2007年9月29日と30日の二日間に渡って、日本武道館主催の小松市地域武道指導者研修会が開催され、参加してきました。 派遣講師に(財)少林寺拳法連盟 新井唐弘会長と加藤義秋先生を迎え、大変有意義な講習会だった事は、支部だよりにも感想文を書きました。ここでは、29日の夕方に行われたレセフションのお話です。
来賓は、新井会長、加藤先生に加え、小松市長さんもいらしていました。テーブル席で正式なレセフション形式でした。
しかし、着ていった服装は、黒のスニーカー、棉パン、白地に縦のストライプのシャツ、麻のジャッケトというラフな格好でした。
正式なレセフションと事前に判っていれば、それなりの格好をしてきたのに!!
仕方がないので、ホテルに着いてから荷物を降ろし、外へ出かけました。上手い具合に、近くに洋服のAOKIがあったので飛び込みました。
500円のネクタイを選び、レセフションに挑みました。
前の方の席だったのでドキドキしながら式典に参加していました。懇親会に入り、ビールが入ると少し気が楽になりましたが、それまでは、何度もネクタイをお守りのように触っていました。若干顔が引きつっていたかもしれません?写真も撮られているんだろうと思いますが・・・。
今回はうかつでした。案内文に懇親会ではなく、レセフションと書いてあった時点で気が付くべきでした。
TPOにあった服装をしていないと恥ずかしい思いをします。開き直ってしまえばそれまでなのでしょうが、小心者なのでしかたがないです。
500円のネクタイは今度どこかへしめていくかも知れません。500円には見えないものでした。
2007年9月15日土曜日
どちらが強い?
先日、練習終了後に中学生から、こんな質問を受けました。
「少林拳と少林寺拳法は違いますよね」
「そうだね」と答えると
「じゃ、どちらが強いんですか?」
「きみは、どう思う?」と逆に質問しました。
「何かで、少林拳は最強だ!と言っていました。だから本当かな?と思って」
「○○が強い!、××が最強!、○○より××が強いんだって!」この手の話は、面白く聞いている分には問題ないと思います。それぞれもっともらしいことを言い合ってああでもない、こうでもない、と言っていれば害はありません。しかし、時々本当に口論になりがちです。「なに、そんなに言うなら本当にやるか!」「おう!」などと実戦にまで発展しかねません。最近は判りませんが、20数年前はそうでした。
「どうちが強い?」の質問に答える為には、前提条件が2つあります。
一つは、「だれとだれが?」と言う問題です。空手の達人と少林寺拳法習いたての白帯が対戦したら、当然、空手の達人が勝つでしょう。逆も同じで、空手が強いとか少林寺拳法が強いと言う問題でなくて、個人の力量の問題となってきます。
二つ目は、ルールの問題です。相撲のルールで力士と柔道家が対戦したとすると大概勝つのは力士でしょう。 まわしだけで、 丸い土俵の中で足の裏以外が土に触れたら負けとなります。袖も襟も掴めない柔道家は柔道の良いところ一つも発揮できずに負けるでしょう。ルールがある場合は、ルールに特化した者が勝つのはあたりまえです。異種格闘技戦の場合もルールがあります。ルールが無かったら単なる喧嘩です。それこそ個人の力量次第の気がします。
「野球とサッカーとどちらが強い?」に答えられる人はいないでしょう。ルールが違うのですから、「野球とサッカーとどちらが面白い?」は、個人の問題です。
質問してきた中学生が本当に納得したかどうかは判りませんが、とりあえず頷いていました。さらに武道の本質の話をしました。
武道には、本当の武道と偽の武道がある。本当の武道は、個人的には自己鍛錬の為に修行し、心身を錬磨する。そして、いざ運用するときは、争いを止め、社会に貢献する為に使用する。偽の武道は、自分の為だけに使用する。勝つ為だけに使用したり、お金を稼ぐ道具にしたり、名声や私利私欲を得る為だけに使用する。
「どちらが強い?」の質問には、純粋な強さへの憧れがあるのでしょう。悪いことでは無いと思いますが、こんな事も知っていてもらいたいなと思いました。
「少林拳と少林寺拳法は違いますよね」
「そうだね」と答えると
「じゃ、どちらが強いんですか?」
「きみは、どう思う?」と逆に質問しました。
「何かで、少林拳は最強だ!と言っていました。だから本当かな?と思って」
「○○が強い!、××が最強!、○○より××が強いんだって!」この手の話は、面白く聞いている分には問題ないと思います。それぞれもっともらしいことを言い合ってああでもない、こうでもない、と言っていれば害はありません。しかし、時々本当に口論になりがちです。「なに、そんなに言うなら本当にやるか!」「おう!」などと実戦にまで発展しかねません。最近は判りませんが、20数年前はそうでした。
「どうちが強い?」の質問に答える為には、前提条件が2つあります。
一つは、「だれとだれが?」と言う問題です。空手の達人と少林寺拳法習いたての白帯が対戦したら、当然、空手の達人が勝つでしょう。逆も同じで、空手が強いとか少林寺拳法が強いと言う問題でなくて、個人の力量の問題となってきます。
二つ目は、ルールの問題です。相撲のルールで力士と柔道家が対戦したとすると大概勝つのは力士でしょう。 まわしだけで、 丸い土俵の中で足の裏以外が土に触れたら負けとなります。袖も襟も掴めない柔道家は柔道の良いところ一つも発揮できずに負けるでしょう。ルールがある場合は、ルールに特化した者が勝つのはあたりまえです。異種格闘技戦の場合もルールがあります。ルールが無かったら単なる喧嘩です。それこそ個人の力量次第の気がします。
「野球とサッカーとどちらが強い?」に答えられる人はいないでしょう。ルールが違うのですから、「野球とサッカーとどちらが面白い?」は、個人の問題です。
質問してきた中学生が本当に納得したかどうかは判りませんが、とりあえず頷いていました。さらに武道の本質の話をしました。
武道には、本当の武道と偽の武道がある。本当の武道は、個人的には自己鍛錬の為に修行し、心身を錬磨する。そして、いざ運用するときは、争いを止め、社会に貢献する為に使用する。偽の武道は、自分の為だけに使用する。勝つ為だけに使用したり、お金を稼ぐ道具にしたり、名声や私利私欲を得る為だけに使用する。
「どちらが強い?」の質問には、純粋な強さへの憧れがあるのでしょう。悪いことでは無いと思いますが、こんな事も知っていてもらいたいなと思いました。
2007年8月12日日曜日
運用法について考える2
前に「運用法について考える」で 昨年の北陸学生連盟主催の運用法の講習会を頼まれたときにまとめた資料の一部を載せたつもりだったのですが、上手く表示されていないようなので、テキストとしてまとめなおすことにしました。
練習の中での運用法の位置づけ
私は、「自分の体の使い方を学習するのが最終的な目標なのかも?」と考えています。平常心を身につける所まで到達できたら幸せなのですが。
練習の中には、「基本」「法形」「運用法」「演武」があり順番に練習して行くのではなく、お互いにつながっていると考えて練習した方が良いと考えられます。「運用法」や「演武」で課題が見つかったら「基本」、「法形」に立ち返えって練習する。また、「基本」、「法形」で身につけたことを「運用法」や「演武」で使えるかを試す。そんなイメージです。
「基本」は、ボディーイメージを高める、体の使い方を染みこませる。
「法形」は、効率良い体の使い方の組み合わせを学習する。一つの原理を他にも応用できるかも?→理を知る! 法形の真義
「運用法」は、技の連絡、つながりを考える。技、体のバランスを学習する。即応能力 間合、虚実など当身の五要素の確認 先について
注意:勝負にこだわってしまう。 自分の強さを誇る。やり方によっては、上記を増長させてしまう。(演武も同じですが・・・)
「演武」は、基本的に運用法と同じと考えている。 約束事が多いか、少ないかの違い。 演武は、他に見せると言う視点が加わるか?
「運用法」と「演武」の間は連続していると考えています。約束事が多いのが「演武」で約束事が少ないのが「運用法」です。約束事が一番少ない練習方法が、自由乱取りであり、約束事が色々増えて、限定乱捕りや防具がある、なし等となり、約束事が多いのが、自由組演武、規定組演武などです。
また、法形の練習中であっても運用法の練習はできます。決まった攻撃であっても真剣に行うと、なかなか受けて、反撃する事が難しことが解るはずです。大切は事は、今、何を目的に練習しているかをお互いに理解して行う事です。
次ぎに運用法を行う上での注意点について基本に立ち返りながらあれこれ考えてみたいと思います。
構えについて
構えの中には、身体的に充実した部分と虚の部分がる。(全身すべてに意識を向けるのは難しい!)構えの中の虚(きょ)の部分は意識を集中して即応できるようにしておく事が大切である。他の部分は、体勢にすきができないように構えることが大切である。
例、一字構:下段に対して警戒し、上段を空けている。
下段に対して体勢は充実している。
上段に対して意識を向けている。
虚実について
・体勢の虚(構えの乱れ)
・体質の虚(力が抜けた状態)
・精神の虚(油断)
間合について
・基本間合、近間、遠間 相手との距離感を身につける。
先について
後の先:攻撃をかわし、受けてから相手の体の崩れを利用して反撃する
対の先:相手の動きを予知して勝ちをとる(動きを読みとる)
先の先:機先を制して勝ちをとる(不意打ちの様な形)気を読みとる
攻防の機会を捉えたり、勘を養うことが必要かも?
攻防の機会(瞬間を捉える)
・相手の構えに隙(すき)がある場合
・相手が攻撃をしようとする瞬間
・相手の技を殺し、体を崩した瞬間
・相手が体構を変える時
・相手の技がつきた時
裏を返せば、残心が大切と言う事
勘について 五管以外の感覚を鋭くする(第六感)
身につけるには?
・つねに問題意識を高く、鋭く持つ
・何事も他のものごとと関連させて考える
・考えるヒントとなる情報を豊富に蓄える
・興味と関心を広く開いて見聞を広げる
など(運用法に限りません!アイデアを出す場合も同じです。)
防具の使用について
・ケガ防止の為 (強く突き、蹴りを行うためではありません。)
・繰り返し行う、回数をこなす為の練習用です。
・安全対策のつもりが、使用法を誤ると逆に危険!(特にフェイスガード)
最後に、「 自分の体の使い方を学習するのが最終的な目標かも?」と 最初に書いた事がまとめになるように思います。
自分の体の使い方なんて意識することは少ないのですが、それを一度、意識的に行い、繰り返して無理や無駄を少なくして効率の良い動き方を身につけていく、そしてそれを無意識に動けるように戻していくのが目標となると考えています。これができると日常生活でも立居振舞が綺麗で無駄がない動きとなり、腰痛や肩こりと無縁になるのでは?
ここからは少し脱線なのですが、私は理学療法士で病院のリハビリテーション室で仕事をしていますが、腰痛や肩こりは、痛い時は鎮痛を目的に行います。しかし、大切なことは、腰痛や肩こりにならないように日頃から動作や姿勢などに気を付けて予防しているかが重要となります。
普通、腰痛は、健康であれば何もしなくても10日程度で治ります。治療するのは、痛みを軽減するか痛い期間を多少短くする程度で、ほとんどが自然治癒します。腰痛を繰り返したり、長期間に及ぶのは、動作や姿勢に無理があることが考えられます。これを放置していると慢性化して骨の変形や筋、腱、靱帯などの変成が起きてしまい治療するには手術が必要となってしまうかもしれません。
効率良く、無駄の無い動作や姿勢を身につけていかないといけないのです。動作や姿勢に気を付けるだけでは解決しないような場合は、作業の機械化や道具の工夫など作業工程自体を見直す必要があるかもしれません。
動作や姿勢の不良は、筋力が少ないと考えるより、筋肉の使い方、協調の仕方が悪いと考えられます。何気ない無意識の動きに腰痛の原因が考えられます。
だから極端な事を言うと、
「少林寺拳法の練習をすると腰痛や肩こりが治る!」
と言えるかもしれません。無理や無駄のない動きを身につけるように意識して練習している価値があるかも知れませんね。
練習の中での運用法の位置づけ
私は、「自分の体の使い方を学習するのが最終的な目標なのかも?」と考えています。平常心を身につける所まで到達できたら幸せなのですが。
練習の中には、「基本」「法形」「運用法」「演武」があり順番に練習して行くのではなく、お互いにつながっていると考えて練習した方が良いと考えられます。「運用法」や「演武」で課題が見つかったら「基本」、「法形」に立ち返えって練習する。また、「基本」、「法形」で身につけたことを「運用法」や「演武」で使えるかを試す。そんなイメージです。
「基本」は、ボディーイメージを高める、体の使い方を染みこませる。
「法形」は、効率良い体の使い方の組み合わせを学習する。一つの原理を他にも応用できるかも?→理を知る! 法形の真義
「運用法」は、技の連絡、つながりを考える。技、体のバランスを学習する。即応能力 間合、虚実など当身の五要素の確認 先について
注意:勝負にこだわってしまう。 自分の強さを誇る。やり方によっては、上記を増長させてしまう。(演武も同じですが・・・)
「演武」は、基本的に運用法と同じと考えている。 約束事が多いか、少ないかの違い。 演武は、他に見せると言う視点が加わるか?
「運用法」と「演武」の間は連続していると考えています。約束事が多いのが「演武」で約束事が少ないのが「運用法」です。約束事が一番少ない練習方法が、自由乱取りであり、約束事が色々増えて、限定乱捕りや防具がある、なし等となり、約束事が多いのが、自由組演武、規定組演武などです。
また、法形の練習中であっても運用法の練習はできます。決まった攻撃であっても真剣に行うと、なかなか受けて、反撃する事が難しことが解るはずです。大切は事は、今、何を目的に練習しているかをお互いに理解して行う事です。
次ぎに運用法を行う上での注意点について基本に立ち返りながらあれこれ考えてみたいと思います。
構えについて
構えの中には、身体的に充実した部分と虚の部分がる。(全身すべてに意識を向けるのは難しい!)構えの中の虚(きょ)の部分は意識を集中して即応できるようにしておく事が大切である。他の部分は、体勢にすきができないように構えることが大切である。
例、一字構:下段に対して警戒し、上段を空けている。
下段に対して体勢は充実している。
上段に対して意識を向けている。
虚実について
・体勢の虚(構えの乱れ)
・体質の虚(力が抜けた状態)
・精神の虚(油断)
間合について
・基本間合、近間、遠間 相手との距離感を身につける。
先について
後の先:攻撃をかわし、受けてから相手の体の崩れを利用して反撃する
対の先:相手の動きを予知して勝ちをとる(動きを読みとる)
先の先:機先を制して勝ちをとる(不意打ちの様な形)気を読みとる
攻防の機会を捉えたり、勘を養うことが必要かも?
攻防の機会(瞬間を捉える)
・相手の構えに隙(すき)がある場合
・相手が攻撃をしようとする瞬間
・相手の技を殺し、体を崩した瞬間
・相手が体構を変える時
・相手の技がつきた時
裏を返せば、残心が大切と言う事
勘について 五管以外の感覚を鋭くする(第六感)
身につけるには?
・つねに問題意識を高く、鋭く持つ
・何事も他のものごとと関連させて考える
・考えるヒントとなる情報を豊富に蓄える
・興味と関心を広く開いて見聞を広げる
など(運用法に限りません!アイデアを出す場合も同じです。)
防具の使用について
・ケガ防止の為 (強く突き、蹴りを行うためではありません。)
・繰り返し行う、回数をこなす為の練習用です。
・安全対策のつもりが、使用法を誤ると逆に危険!(特にフェイスガード)
最後に、「 自分の体の使い方を学習するのが最終的な目標かも?」と 最初に書いた事がまとめになるように思います。
自分の体の使い方なんて意識することは少ないのですが、それを一度、意識的に行い、繰り返して無理や無駄を少なくして効率の良い動き方を身につけていく、そしてそれを無意識に動けるように戻していくのが目標となると考えています。これができると日常生活でも立居振舞が綺麗で無駄がない動きとなり、腰痛や肩こりと無縁になるのでは?
ここからは少し脱線なのですが、私は理学療法士で病院のリハビリテーション室で仕事をしていますが、腰痛や肩こりは、痛い時は鎮痛を目的に行います。しかし、大切なことは、腰痛や肩こりにならないように日頃から動作や姿勢などに気を付けて予防しているかが重要となります。
普通、腰痛は、健康であれば何もしなくても10日程度で治ります。治療するのは、痛みを軽減するか痛い期間を多少短くする程度で、ほとんどが自然治癒します。腰痛を繰り返したり、長期間に及ぶのは、動作や姿勢に無理があることが考えられます。これを放置していると慢性化して骨の変形や筋、腱、靱帯などの変成が起きてしまい治療するには手術が必要となってしまうかもしれません。
効率良く、無駄の無い動作や姿勢を身につけていかないといけないのです。動作や姿勢に気を付けるだけでは解決しないような場合は、作業の機械化や道具の工夫など作業工程自体を見直す必要があるかもしれません。
動作や姿勢の不良は、筋力が少ないと考えるより、筋肉の使い方、協調の仕方が悪いと考えられます。何気ない無意識の動きに腰痛の原因が考えられます。
だから極端な事を言うと、
「少林寺拳法の練習をすると腰痛や肩こりが治る!」
と言えるかもしれません。無理や無駄のない動きを身につけるように意識して練習している価値があるかも知れませんね。
2007年7月22日日曜日
新潟中越沖地震
2007年7月16日 朝9時13分頃新潟県柏崎市周辺で大きな地震がありました。七尾でもかなり大きな揺れでした。今年3月の能登半島地震の時の様に縦揺れは、感じませんでした。 しかし、 横揺れは短い時間ですが同じ程度だったように思います。(物が倒れることはありませんでした。)マグニチュードの大きさも最大震度も能登と中越でほとんど同じ規模の地震であったのに、被害状況は中越地震の方が甚大なようです。やはり人口密度の差がでたのかもしれません。
原発がある場所と震源地が近いのも能登と中越の共通点です。どこに原発を持っていっても地震の可能性はあると考えた方が良いのでしょう。
今回の地震でもボランティアが活動しているようですが、現地で受け入れ体勢に混乱も見られるというニュースもありました。ボランティア活動を現地でするのも、救援物資を送るのも、現地の受け入れ態勢が整わないと上手く善意を活かせない様です。
最後に、4月に全国道院長研修会(北信越地区)で行った寺泊は、今回の震災で少なからずの被害が出ているとニュースにありました。気になるところです。
2007年7月16日月曜日
運用法について考える
昨日の2007年度少林寺拳法石川県大会で安田審判長が最後の講評で述べていた護身術としての少林寺拳法の技術の位置づけについて自分なりの考えをまとめてみたいと思います。「演武は踊りでは無いので、形だけに囚われず、使える技術も身につけて欲しい。」と言う話は同感です。演武を綺麗に迫力をもって行うことは良いことだと思います。それで大会で良い成績を目指す事も意義が有ることだと思います。これは安田審判長も否定する物では無いと思います。
少林寺拳法の技術を身につける最終的な目標は、自分の体の使い方を身につける事なのかもしれないと考えています。
これは、組演武であろうと運用法(乱取り)であろうと同じだと考えます。そして、体の使い方であるから、少林寺拳法の技術だけに限らない体の使い方です。
介護技術の中にも応用可能ですし(仕事柄考えること多いです)、立ったり座ったりの何気ない動作の時も同じです。
立ち振る舞いが美しく、無駄のない動きが出来たら理想と考えます。そして、平常心まで身につける所まで行ければ最高でしょう。
下に載せたのは、昨年、北陸学生連盟主催の運用法の講習会を頼まれたときにまとめた資料の一部です。
2007年7月15日日曜日
07石川県大会
2007年7月15日、宝達志水町押水総合体育館に於いて2007年度少林寺拳法石川県大会が行われスタッフとして参加しました。進行担当となり12人の大学生と6人の一般支部からのスタッフと共に大会の進行にあたりました。仕事は、コートの運営と開会式、式典、閉会式の進行です。コート運営のシステムは上手く機能していました。最優秀者演武披露も表彰授与も上手く機能しました。スタッフもこちらが考えていた通りに動いてくれたので成功したといえるでしょう。改めて動いてくれたスタッフには感謝です。
しかし、全体として終了予定時間が1時間遅れてしまいました。午前中の時点で30分程度遅れがでてしまい、お昼の時間で遅れを15分に短縮しましたが、本選終了時にまた、30分の遅れ、閉会式でさらに30分の遅れがでました。進行としては30分以上遅れてきた時点で最優秀者演武披露はカットしたかったのですが、表彰状が出来上がっていなかったのでカットすることはできませんでした。
今後、反省会が行われると思いますが、他の部門での事も判ればはっきりした今後の対策も考えられるでしょう。
最後に自分の話を一つ。予想はしていましたが、お昼のお弁当を食べることが出来ませんでした。お弁当を空けて、一口、二口食べた所で呼ばれてしまいました。帰ってきてから脚が妙に突っ張っていました。考えてみたらほとんど座っていませんでした。
登録:
投稿 (Atom)