2007年7月22日日曜日

新潟中越沖地震

 2007年7月16日 朝9時13分頃新潟県柏崎市周辺で大きな地震がありました。七尾でもかなり大きな揺れでした。今年3月の能登半島地震の時の様に縦揺れは、感じませんでした。 しかし、 横揺れは短い時間ですが同じ程度だったように思います。(物が倒れることはありませんでした。)
 マグニチュードの大きさも最大震度も能登と中越でほとんど同じ規模の地震であったのに、被害状況は中越地震の方が甚大なようです。やはり人口密度の差がでたのかもしれません。
 原発がある場所と震源地が近いのも能登と中越の共通点です。どこに原発を持っていっても地震の可能性はあると考えた方が良いのでしょう。
 今回の地震でもボランティアが活動しているようですが、現地で受け入れ体勢に混乱も見られるというニュースもありました。ボランティア活動を現地でするのも、救援物資を送るのも、現地の受け入れ態勢が整わないと上手く善意を活かせない様です。
 最後に、4月に全国道院長研修会(北信越地区)で行った寺泊は、今回の震災で少なからずの被害が出ているとニュースにありました。気になるところです。

2007年7月16日月曜日

運用法について考える

 昨日の2007年度少林寺拳法石川県大会で安田審判長が最後の講評で述べていた護身術としての少林寺拳法の技術の位置づけについて自分なりの考えをまとめてみたいと思います。
「演武は踊りでは無いので、形だけに囚われず、使える技術も身につけて欲しい。」と言う話は同感です。演武を綺麗に迫力をもって行うことは良いことだと思います。それで大会で良い成績を目指す事も意義が有ることだと思います。これは安田審判長も否定する物では無いと思います。
 少林寺拳法の技術を身につける最終的な目標は、自分の体の使い方を身につける事なのかもしれないと考えています。
 これは、組演武であろうと運用法(乱取り)であろうと同じだと考えます。そして、体の使い方であるから、少林寺拳法の技術だけに限らない体の使い方です。
 介護技術の中にも応用可能ですし(仕事柄考えること多いです)、立ったり座ったりの何気ない動作の時も同じです。
 立ち振る舞いが美しく、無駄のない動きが出来たら理想と考えます。そして、平常心まで身につける所まで行ければ最高でしょう。
 下に載せたのは、昨年、北陸学生連盟主催の運用法の講習会を頼まれたときにまとめた資料の一部です。

2007年7月15日日曜日

07石川県大会

 2007年7月15日、宝達志水町押水総合体育館に於いて2007年度少林寺拳法石川県大会が行われスタッフとして参加しました。
 進行担当となり12人の大学生と6人の一般支部からのスタッフと共に大会の進行にあたりました。仕事は、コートの運営と開会式、式典、閉会式の進行です。コート運営のシステムは上手く機能していました。最優秀者演武披露も表彰授与も上手く機能しました。スタッフもこちらが考えていた通りに動いてくれたので成功したといえるでしょう。改めて動いてくれたスタッフには感謝です。
 しかし、全体として終了予定時間が1時間遅れてしまいました。午前中の時点で30分程度遅れがでてしまい、お昼の時間で遅れを15分に短縮しましたが、本選終了時にまた、30分の遅れ、閉会式でさらに30分の遅れがでました。進行としては30分以上遅れてきた時点で最優秀者演武披露はカットしたかったのですが、表彰状が出来上がっていなかったのでカットすることはできませんでした。
 今後、反省会が行われると思いますが、他の部門での事も判ればはっきりした今後の対策も考えられるでしょう。
 最後に自分の話を一つ。予想はしていましたが、お昼のお弁当を食べることが出来ませんでした。お弁当を空けて、一口、二口食べた所で呼ばれてしまいました。帰ってきてから脚が妙に突っ張っていました。考えてみたらほとんど座っていませんでした。

2007年6月10日日曜日

命のつながり

 第3回七尾市民体育大会少林寺拳法競技終了後、少林寺拳法創始60周年のお話をしました。
 何故、開祖が60年前に少林寺拳法を始めようとしたのか?
  「動機と目的について」
 60周年のテーマ「ありがとうこの命、ありがとうあなたとの出会い」について
 「いのちのまつり ヌチヌグスージ」(草場一寿/作 平安座資尚/絵)という絵本を使って 命のつながりについて説明してみました。
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 自分が存在する為には、お父さん、お母さんの2人がいなければ生まれてこなっかた。お父さんとお母さんは自分にとってはご先祖様だ!
 そのお父さんとお母さんを生んだのは、おじいちゃんとおばあちゃん!2人づつだから合計で4人。そのまた おじいちゃんとおばあちゃんは、8人。そのまた おじいちゃんとおばあちゃんは、16人。 おじいちゃんとおばあちゃんは、32人。ここまでで、すでにご先祖様は、62人もいる!
 そのまた、おじいちゃんとおばあちゃんはと考えていくと、自分が存在する為には過去に沢山のご先祖様がいたおかげであり、だれか一人が欠けても自分は存在しないことに気づく。もっともっとさかのぼっていくと、地球に生命が誕生したのが35億年前と言われているが、そこから始まって、現在の地球上の多様な生命にまでつながっている。
 そして、現在の自分の命は、将来の子孫が存在するために必要である。
 命のリレーが繰り返されている。
 自分だけの孤独な命はありえない。過去から未来に向かってつながっている命の存在に気づこうではないか。気が付いたら「ありがとうこの命」と言うテーマが自然と理解できたのではないでしょうか?
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 これは諸行無常(しょぎょうむじょう)の面を表しているのだと思います。川の流れは変化していないように見えるけれど、それを構成している水は常に変化している。
 自分の体を考えても、毎日細胞が入れ替わっている。つまり生まれて、死んでいっている。常に入れ替わっているのに自分という存在はある。但し、少しずつ変化していっていますが、「老化」と言う形で。
--------------------------------------------お話し------------------------------------------------
 「ありがとうあなたとの出会い」は、例えば
「今、先生です。支部長です。」と言っていられるのは皆さんがいるからです。一人だけで「先生です。支部長です。」と言っても滑稽なだけです。つまり自分一人だけであるわけではありません。必ず他との関わりが有るわけです。私が少林寺拳法を始めた切っ掛けをもらった先輩がいます。途中で止めずに続けて来られたのも多くの仲間がいたからです。
 現在の自分があるのは、多くの仲間と現在の皆さんの存在が無ければありえません。感謝をしています。皆さんも今日は演武を行いましたが、相手がいなければ演武を行うことは出来ませんでした。練習すらできません。大切な相手なのですからお互いに感謝しましょう。
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 これは、諸法無我(しょほうむが)のことではないでしょうか?諸行無常が過去から現在、そして未来についての連続性を表しているとすると、諸法無我は、現在の横への連続性、関係性を表しているのだと思います。
 時間軸と空間軸での連続性、関係性から自分という存在を考えると「生かされている自分」に気が付くのではないでしょうか。それが涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の世界なのかもしれないと私は考えています。
 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静が仏教での三法印です。仏教の世界観を表していると解説されています。そこから何を読みとるかは人それぞれかも知れませんが、私は、60周年のテーマ「ありがとうこの命、ありがとうあなたとの出会い」を聞いて三法印を思い浮かべました。

2007年4月29日日曜日

全国道院長研修会(北信越地区)

 今年は、少林寺拳法創始60周年の年であり、総裁、会長、代表のそれぞれの意気込みを感じることが出来た研修会だったと思います。
 28日は、朝からバスに揺られて新潟へ!出雲崎町中央公民館で研修会が始まりました。公民館と聞いていたので狭いイメージがあったのですが、体育館があり研修室が多数あり立派な研修施設でした。
 夕方から60周年の祝賀会があり、会場となった寺泊岬温泉ホテル飛鳥の窓からは日本海に沈む夕日がとても印象的でした。
 29日は、研修会終了後、研修会場の直ぐ隣にある「良寛記念館」に立ち寄りました。子供達と毬つきをする良寛さんのイメージが強いのですが、若いときに大きな挫折も味わっての晩年の境地だたことが想像されました。挫折を経験し潰れてしまっては仕方がないのですが、それを深みに変えることができたら、挫折も悪くないと思います。
 研修会の事を書こうと思っていたのですが、ほとんど書いていませんね。最後に、久しぶりに新潟に行きましたが、やはり遠いですね。

2007年4月3日火曜日

ボランティアについて考える

 石川県少林寺拳法連盟としてボランティア活動をするべきかどうか?
 難しい判断だと思います。団体で現地に行って、こちらの都合で活動しようとすると、多分、邪魔なだけのような気がします。団体で活動したくても現地の指示に従わなければなりません。大勢で行っても何も活動をしないで帰ることになるかもしれません。
 実際に、バスで現地に30人以上で乗り込んできた団体もありましたが、半数の方はバスの中で待機していました。
 現地の要望に対して組織としてどの様に動けば効率的かを考えなければなりません。
 石川県少林寺拳法連盟の組織としてどの様な形で動くかは、もう少し今後の情勢を見極めるべきなのでしょうか?
 個別に動くのを県連としてバックアップするという方法が、現段階ではベストな判断だと思います。
 その内に良いアイデアも出てくるかもしれません。

2007年3月31日土曜日

ボランティアに行ってきました

 本日朝から、能登半島地震で一番被害が大きかった門前町に職場の仲間4人でボランティアに行ってきました。
 朝7時に七尾を出発しました。七尾市中島町の辺りから穴水町に近づくにつれて屋根にブルーシートをかけた家や塀が倒れていたり、壁が崩れている家がちらほらと見受けられました。考えていたよりずっとスムーズに現地に到着し、8時20分にボランティア用の駐車場に入れました。
 来る途中、建物が倒れていて道を塞いでいる場所などがあり交互通行も数カ所ありました。 しかし、地震から1週間経っているので比較的町の様子は落ち着いていました。 所々に警察の方が交通整理の為に立っているのですが、土日はボランティアの数が増えるので県内から交代で派遣されて来ているそうです。また、巡回のパトカーも何台も走っていました。これは、不届きな震災泥棒防止の為でもあるそうです。中越地震の際にはボランティアのふりをして泥棒に入る者が多数いたそうです。
 自衛隊の車両や給水車なども多数みました。この様なときは、自衛隊の制服を見ると頼もしく見えます。
 ボランティア本部になっている東門前小学校の前にボランティア受付があるのですが、そこに行くまでにも道にひび割れがあったり、段差があったりしました。よく見ると、マンホールが隆起したのか、その周りが陥没したのか判りませんが、マンホールごとに凸凹していました。
 受付では、受付表に名前を書き入れ、ガムテープに名前をマジックで書き、ボランティア保険に入って、9時まで待機でした。
 9時からスタッフの方が住民の方の依頼用紙に基づいて必要な人数と内容を読み上げ、参加者をつのる仕組みでした。依頼内容は、炊き出しのお手伝い、家の後かたづけ、ゴミの分別、ゴミの回収、などです。専門的な内容の物は、行政が別に依頼しているようです。
 我々は、家の後かたづけのお手伝いとゴミの分別を依頼してきたお宅に伺うことになりました。依頼した家が遠い場所の場合は、本部が用意した車で移動なのですが、我々は、本部から歩いて5分程度の場所で活動しました。
 現地に着いてみると依頼してきたのは腰の曲がった80才は軽く越えている様な、おばあちゃんの家でした。お孫さん2人が手伝いに来ていたのですが、とても手が回らないのでボランティアセンターに依頼したそうです。
 ここで、ボランティアセンターの手違いで依頼が二重になっていたようで、2グループが同じお宅に来てしまいました。しかし、大人数の方が早く作業が進むだろうと言うことでそのまま活動することになりました。
 このお宅は、昔、仕出しをしていたそうで、土蔵の中には茶碗や皿、お椀、お重、お膳などが大量にありました。また、農業も行っているので農機具も新しいのから資料館にあるような農具までありました。
 おばあちゃんはかなり几帳面な方のようで分類された箱にはいついつ、だれからもらった記念の品物とか、だれそれの結婚記念品とか何々用の品だとか表書きがしてありました。それが土蔵の中でぐちゃぐちゃになっているのです。当然、母屋の中も同じような感じでした。
 母屋は柱もゆがんでいる状態なので、順番として、建物としては問題ない、土蔵の中を整理して不要品をゴミとして出し、必要な物を土蔵に運び込んで母屋を空ける事になりました。いずれ母屋の修理をする為です。
 おばあちゃんにとっては、どれも思い出の品なので、かなり悩みながら、必要な物と不必要な物の選別になりました。おばあちゃんに、これを捨てても良いかと聞くとどれも取っておきたい様子で、お孫さんに説得されてしぶしぶ諦めていました。我々は、おばあちゃんの思い出をゴミとして捨てる手伝いをしたことになります。少し複雑な気持ちでした。
 家の中から持ち出された物を、燃えるゴミと燃えないゴミ、金属類と分別しました。 ゴミは大量で、 写真の様に家の前には山のように積まれました。それを別のボランティア斑がトラックで巡回してきて集積場所へ運んでいきます。合計トラック4台分のゴミが運び出されました。
 軍手とマスクは必需品です。できれば帽子。タオルでも良いのですが、頭はススだらけになりました。そしてカッター。段ボールなどを解体するときに便利です。これは、同じ斑になった神奈川県から来ている方が持っていました。この方は、中越地震の時も1週間ほど現地で活動していたそうで、小道具を色々持ってきていました。 電灯がつかなくて室内が暗い場合もあるので、ライトもあった方が便利だと言うことで今回も使用していました。経験してみないと気が付かないことは多い物です。
 午前中はここまで、一端昼食の時間です。ここで雨が降ってきました。外での作業は大体終わっていたので助かりました。人数が多くいたので出来たことです。1つの斑では、終わらなかったかもしれません。
 午後からの最大の難問は、仏壇の移動です。仏壇は、高さもあり、かなり大きいのです。 さらに天井も低い為、 仏壇を倒そうとしても、仏壇の角が天井につかえて、部屋から出せませんでした。天井は、手を挙げると届く高さです。肘を伸ばすことは出来ません。
 考えた末、畳を退けてみることにしました。畳の厚さ分だけ下がったので何とか天井につかえないで仏壇を傾けることができました。男性6人がかりで土間の部分にとりあえず出しました。
 後は、母屋のこまごまとした物の整理をして3時すぎに作業は終了しました。ボランティアセンターに戻って、作業の終了を報告して解散となりました。
 ボランティア活動をしてみて感じたことは、一般のボランティアが出来ることは限られているのだなと思いました。これは、行く前からある程度判っていたことなのですが、実際に活動してみて実感しました。
 被災した方の依頼が無ければ活動することはほとんどありません。人数もこの土日は十分に足りていたようです。
 足りないのは、又は早急なのは専門家の活動です。仮設住宅とか医療ボランティア、水道、道路の補修、家屋診断、倒壊家屋の撤去、などなどだと思います。
 ボランティアセンターの方が言っていましたが、「待つ事も仕事ですので、被災した方からの依頼が無ければ待ってもらいます。」「勝手に動くと逆にトラブルになるか、迷惑になるだけなのでお願いします。」と言う事でした。
 しかし、それでも自分にも何か出来ることが無いだろうかと思っていってきました。担当した家のおばあちゃんが言っていたのですが、「ボランティアの方が来てくれるだけで嬉しい。」話し相手になるだけでも気がまぎれるのだと思います。
 今後時間の経過と共に必要となってくるボランティアの内容が変化してくると予想されます。仮設住宅のめどが立ってくれば引っ越しの手伝いや清掃活動などが考えられます。息の長い活動が求められるのではないでしょうか?
 繰り返しになりますが、一般のボランティアが出来ることは限られていると思います。しかし、助けを求められたときに手をさしのべる準備だけはしておきたいと思います。